
(C)柴田英里
興行収入が『アナと雪の女王』を抜きディズニー・スタジオのアニメ映画至上最高記録を叩き出しただけでなく、各国の評論家が大絶賛、日本でも大ヒット中の『ズートピア』を観てきました。
舞台は、肉食・草食、人間以外の様々な哺乳動物たちが「誰もが何にでもなれる」という理念のもとに暮らす大都会「ズートピア」です。田舎者で何に対してもまっすぐな性格のウサギ・ジュディは、“より良い社会”のためにズートピアで警察官として働くことを志します。「(草食で身体も小さい)ウサギに警察官は無理」と肉食獣にバカにされても、努力と根性で警察学校の試験を主席でパスしたジュディが、「ズートピア初のウサギの警察官」として赴任してくるところから物語は始まります。
「誰もが何にでもなれる」を理念に掲げるズートピアですが、実際には差別や偏見が蔓延しています。それは、アメリカにおけるレイシズムやセクシズムなどの差別と偏見のメタファーであり、たとえばゾウのアイスクリーム屋で、体の大きい動物にはアイスを売るのに、小型の動物には売ることを拒否するシーンは、「私たちはお客さんにサービスをしない権利もあります」という、看板によって有色人種のレストランへの入店を拒否した歴史を表しています。「黒人はズルい」「女性は働けない」などのレッテルによって社会的に不利益を被る(就職などの機会が均等に訪れない)という、アメリカ社会の差別の歴史を、『ズートピア』は意図的に、観客に振り返らせます。
そうした差別は、「初のウサギの警察官」として市役所などから政治的にスポットを当てられたジュディとて例外ではなく被ります。警察は身体の大きな動物(そして男性)が中心の組織であり、ジュディは警察学校で非常に優秀だったにもかかわらず、「身体が小さい/草食動物の/女性である」という点で“非力な役立たず”と決め付けられ、重大事件が起こっているさなかでも、「違反切符切り」という補佐的な仕事しか与えられません。唯一、警察署内でジュディに友好的な態度で接する受付係の太ったチーター男性も、ジュディに対して無意識に「かわいいね」と発言します。
ウサギの女性で警察官であるジュディに、同僚である肉食動物のチーター男性が「かわいいね」と言うこと。これは、同人種間であれば親愛や友情を表す言葉が、差別用語になり得るレイシズムや、警察官としての能力でなく「かわいい」「女性」といった身体的特徴のみを評価するセクシャルハラスメントに相当します。ジュディが「同じウサギに言われるならいいけれど、他の動物に(かわいいと)言われるのはちょっと……」と咎めると彼は失言に気付くのですが、「相手を誉めたつもりでも文脈や社会背景的に差別になり得る」ことや、「人は悪意からではなく、無意識や善意からも差別的な発言をし得る」ということをハッキリ(しかしさりげなく)描いたワンシーンです。
同種属の人口(頭数)が多いため、自分は「票獲得」のために雇われていると嘆く副市長の羊女性。彼女の苦悩は、女優や歌手といったセレブが担う商業的なフェミニズムやストレート・アライが台頭すること、日本において同性婚にまつわる条例が区の宣伝として利用されることの問題と通じるものがあります。
そのような表向きの平等を掲げる大都市ズートピアを騒がせる肉食動物連続失踪事件を解決するために、ウサギのジュディは、キツネの詐欺師ニックと協力し、事件の謎に挑みます。ニックは「キツネはズルい」というレッテルや「肉食動物は危険」という偏見によって傷ついた結果、ステレオタイプな生き方に甘んじているアラサーのキツネ男性です。
※以下、映画のネタバレを含みます。