王子様とお姫様は相互に成立する
アンシーの兄である鳳暁生は、かつて世界中のお姫様を救おうとした王子様・ディオスでしたが、人々の願いを叶えすぎたため傷つき、妹のアンシーに封印されたのでした。王子を封印した彼女は人々の希望を奪った「魔女」として苦しめられることになりました。この寓意的な物語(影芝居『薔薇物語』と、童話『薔薇の物語』)は、高い理想(世界中のお姫様を救う王子様)を持ちすぎた少年が、理想に押しつぶされ、身動きができなくなる姿をまず見せます。高い理想を持った王子・ディオスをアンシーが封印することは、アンシーから兄への思いやりであると同時に、「世界中のお姫様を救う王子様」など存在しないという真実を隠すことによって「王子様」という虚構を存在させ続けることでもあります。つまり、アンシーこそが王子様を求めた張本人であることを証明するのです。封印後、「魔女」として責められ続けるアンシーの姿は、「王子様というシステムを求めたこと」「兄に高い理想を押し付けたこと」「嘘をつき続けること」などへの後悔ではないでしょうか。
「王子様というのは、女の子がお姫様になるために必要な装置である」と、『少女革命ウテナ』の脚本家榎戸洋司は脚本集で述べましたが、お姫様もまた、男の子が王子様になるために必要な装置です。そしてこの装置は、「家父長制」と呼ぶこともできるものです。
兄に「王子様」の役割を押し付けたことを後悔するアンシーが、後悔しながらも「王子様などいない」ことを隠蔽し、「薔薇の花嫁/お姫様、そして魔女」で居続けることと同様に、理想(王子ディオスであること)を失った暁生も、それでも「王子様」で居続けるために、アンシーに「薔薇の花嫁/お姫様、そして魔女」であることを押し付けます。それは、「王子様がお姫様を必要とし、お姫様が王子様を必要とすることによって、お互いがお互いの役割から逃れることを許さない」という共依存です。
「王子様とお姫様(またの名を家父長制)」というシステムに共依存する暁生とアンシーですが、アンシーは、ウテナと共に過ごし、傷つきながらもアンシーのために行動するウテナを見るうちに、ウテナに対して罪悪感が芽生え、遂には自殺しようとします。ウテナに自殺を止められたアンシーは、「あなたの無邪気さを利用して、あなたのやさしさにつけ込んでいた」「私は卑怯なんです。ずるい女なんです。ずっとあなたを裏切ってました」と謝罪。懺悔するアンシーに対して、ウテナもまた、「僕は君の痛みに気付かなかった……君の苦しみに気付かなかった。それなのに僕はずうっと、君を守る王子様気取りでいたんだ。ほんとは、君を守ってやっているつもりで、いい気になっていたんだ」と、自身の過ちに気付き、謝罪します。
暁生とアンシーの共依存と同様に、ウテナとアンシーもまた、「相手を守ったつもりでいい気になっている無邪気な暴力性」と、「無邪気な暴力性を都合良く利用する狡猾さ」という形で、「王子様とお姫様(またの名を家父長制)」のシステムに依存し、それゆえに自己嫌悪に苛まれていたのです。
己の過ちを懺悔し、それでもお互いを大切に思ったウテナとアンシーは、全ての元凶である「世界の果て」となった暁生(理想を失い、お姫様を所有することでしか王子様でいられなくなった男)に戦いを挑みます。