「……風俗ってさ、嫌なことがあった時に行きたくなるんだよね。『今日はいいことがあったから、さあ行こう!』ってはならない。風俗は、俺にとっては非日常なものなの。もちろん性欲もあるよ? だけど……それ以外のことを求めてると思う。だから好きになっちゃうのかな。とりあえずね、普段の生活でモヤモヤとしたり、暗い気持ちになったりした時によく行くんだよね」
――さっき、依存症じゃないかと自分でおっしゃってましたね。
「うん。依存症かどうかの判断ってね、自分がしたことで罪悪感を抱いたり、自分を責めたり、後悔したりするかどうからしいんだよ。『ああ、やっちゃった』と思って落ち込むことがよくある場合、それは“依存症”の傾向があるらしいの」
――浩二さんは、風俗に行って「落ち込む」ことがある?
「意外とあるんだよ。俺は例えば、風俗に行っても、女の子と別れた瞬間にわびしくなって、(ホテヘルを使ったことを)少し後悔してたりする。終わったあとは必ず、ホテル街の近くの回転寿司屋にひとりで入って食事をするんだけど、寿司を食いながら、やっぱりすごくさみしくなってる。まぁ、次の日には忘れるんだけどね……」
――それは、風俗に10年以上通ってても変わらないもの?
「変わらないね。俺は、なんとなくずーっと道草をくってるような気分だよ。そんなセリフを、確か森山大道さんもいってたけど(笑)。本当は、いつか風俗通いを止めたいんだけどな」
――どうして止めたいと思うんですか?
「だって、通いはじめて10年以上だよ。あまりにも長いよね。今は、風俗は生活の一部みたいになってるからなぁ。俺は、昔は酒もパチンコもやって、依存症みたいになってたけど、今はどちらも止めてるの。でも風俗にはなんとなく通ってしまう。恋愛みたいな感覚をお金で買っていることにも罪悪感があるのかもしれない。なんだろう。うまく言えないけど、少なくとも回数はいつか減らしたいと思うんだよね。いつになるかはわからないけど」
浩二はもともと、今の不労所得で生活するスタイルが軌道にのるまでは、介護関係の仕事をしていたのだという。祖母にかわいがられて育った浩二は、仕事現場でケア相手に「つい感情移入をしちゃう自分がしんどくて」、介護現場から去ったのだと話していた。
浩二は続ける。
「オレは結局、見た目も性格も自分にぴったり(の風俗嬢)じゃないと、あんまり楽しくないんだと思う」
――どういう子がお気に入りになるんですか?
「ん~やっぱり、エロい子なんだけど……、でも、風俗嬢のエロさって、人間性みたいなものだと思うんだよね」
――人間性?
「うん。なんだろうねぇ、例えばさ、一緒にシャワーを浴びて、洗ってくれてるとするでしょ? その時に、何気なくひょいと出てくる態度みたいなこと……身体をくっつけてキスしながらとかさ、手でどこか触りながらとか……そういうのがナチュラルにできるというかね。身体を全然くっつけてこない人とかもいるから」
浩二が風俗について語る言葉は少な目だが、「エロさは人間性みたいなもの」という言葉はとても新鮮だった。例えばグラビアの世界では、胸の大きさや髪の長さ、衣装や水着のセクシーさ、全体のスタイルといった「視覚的で、記号的なもの」がエロスとして大きく占めている気がする。
風俗は、1対1で身体や言葉を重ね、相手の息遣いやにおい、肌の質感を感じる、もっと立体的で、生々しい空間だ。しばらく現場から離れていた私は、「エロさは人間性」という浩二の言葉で、改めて風俗のおもしろさを思い出したような気がした。写真指名をして、女の子が平面から抜け出してきたその先こそが「風俗」なのだ。
「あ、ごめん! そろそろ犬を散歩に連れて行く時間だ」
浩二は氷が溶けかけたアイスココアを飲み干すと、「なんだか中途半端でごめんね」と謝りながら、カラオケボックスを後にした。
10年以上風俗に通っている浩二の体験を、たった数時間のインタビューで聞くのはなかなかに難しい。都内のぽっちゃり系ホテヘル、100分1万5千円。自分好みの相手との親密な時間を、すぐに手に入れられるお手軽さ。でもそれと同時に生まれる、相手が去ったあとのわびしさ。どちらもこの10年で痛感しているのが浩二だ。言葉を探しながら話しているようだった。100分だけで終わっているとは思えない、「名前のない男」――浩二のストーリーが、狭いカラオケ店の部屋の中で漂っているようだった。