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性暴力を真正面から描く映画のレイプシーンには、男の「悪意」がなかった

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性暴力は「魂の殺人」ー映画『月光』HPより。

 その映画のHPやチラシには「本作品には制作過程において検討を重ねました結果、この問題に迫るため誤解を恐れずあえて過酷な描写をしたシーンがございます」とあり、メディア関係者向けに行われた試写会では、事前に「気分が悪くなった人は退室を」と伝えられ、そうなった人の相談に乗るべく精神科医が待機していたと聞きます。

 映画『月光』が、先週末に公開されました。性暴力を圧倒的なリアリティでもって描き、それがいかにして被害者の尊厳、希望、生きる意味……というより「生」そのものを打ち砕くかをあぶり出す作品として、公開前から大きな話題を呼んでいました。「過酷な描写をしたシーン」とは、性暴力シーンにほかなりません。あいまいな表現で「何が行われていたか」を観る側に想像させるのでもなく、何かのメタファーでそれを伝えるでもなく、正面きってレイプシーンをスクリーンに映し出す。しかもそれは、観た人が心身のバランスを壊すほどの迫力。見ておかなければという気持ちと、見るのが怖いという気持ちが私のなかで拮抗しましたが、見ようと決めたのは、誤解を恐れずにいうと、そのレイプシーンに興味があったからです。

強姦された女性は喜ぶ、というファンタジー

 かつて、「フィクションで描かれる『性犯罪』はどうあるべきか、どう受け取るべきか」というコラムを書きました。レイプシーンが含まれる映像作品は少なくはありません。一般映画では数が限られますが、AVや成人映画にはゴロゴロ転がっています。もちろん、描かれる意味は対照的です。性暴力をこの世で最も卑劣かつ醜悪な犯罪のひとつとして描くか、その暴力をファンタジー化して観る人の性的興奮を喚起するか。

 ファンタジー化とは「抵抗していたオンナも、突っ込みさえすれば喜びだす」というもので、女性には信じがたいものですが、エンタメとして(つまり成人映画やAVで)描かれる性暴力シーンは多くがこれに当たります。この手の鬼畜ジャンルを好む人も、「現実とファンタジーの区別くらいつくよ~」と反論するかもしれませんが、そう言い切れない人もいるのではないでしょうか? 女性を被害者ではなく、レイプを肯定する共犯者にしてしまうという意味でも非常に罪深いです。なかには、ガチのレイプシーン……女性が快感を得ることもないまま傷つけられ貶められるのを観て興奮する人もいるでしょう。人の性嗜好はそれぞれですし、この嗜好を持つ=性犯罪者ではありませんが、それでも私はソチラの方々と人間的なおつき合いをしたいとは思いません。

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桃子

オトナのオモチャ約200種を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。

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