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昭和エログロサブカルvsおしゃれサブカル、少女のための『少女椿』が描いた復讐

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客体としての復讐

 この映画において、「昭和貧困と差別のリアルと全共闘左翼的ジャーナリズム」的な視点からの不満と、女子中高生などの「受動的な少女のままならなさと反抗」を見いだす層からの支持という賛否両論の構造が興味深いのは、それが、「昭和エログロサブカル/おしゃれサブカル」という原作ファンの二大支持者の差異だけでなく、原作『少女椿』そのものが孕む「サブカルの中のマッチョイズムとミソジニー」、ひいては、「全共闘とウーマンリブ(フェミニズム)」の問題にまで通じるところにあります。

 そもそも、雑誌『ガロ』自体が、白土三平の『カムイ伝』を連載するために作られた雑誌であり、差別や貧困のリアルを描く『カムイ伝』は、多くの全共闘の運動家に親しまれ、『ガロ』という雑誌を象徴しました。

 丸尾末広の『少女椿』も、差別や貧困のリアルを描く「ガロ系」の流れを汲んだ作品ですが、見世物小屋の一座の中で理不尽な目にあう主人公みどりちゃんの姿は、全共闘の中でのミソジニー問題に重なるものがありました。

 「同じ学生運動家でも中心になるのは男子学生で、女子学生は“おにぎり作り”などの補佐的な役割がほとんど」「バリケードの後ろはフリーセックスの場、パンツを脱ぐ女は公衆便所」といった、イデオロギーの中で無視され続けた女性蔑視(ミソジニー)に、田中美津が「便所からの解放」を叫んだのが日本におけるウーマンリブのはじまりですが、自分より力の強いものたちから客体として理不尽に折檻されたり犯されたりするみどりちゃんの姿には、差別や貧困のリアル以上に、同志にすら理不尽に虐げられる女性のリアルがあったのです。

 丸尾の描くみどりちゃんは、ただただ虐げられるだけでなく、年相応に反抗的で、そして年相応に愚かで、聖母にも悪女にも類型化されません。自分の現実を好転させてくれそうな人物に依存し、自分より弱いもののことは「ばけもの」と罵る。依存するワンダー正光が一座の実権を握るようになれば、「あんた達誰のおかげでやっていけると思ってんの うちの人にいいつけてやるからっ!!」と悪態をつく、虐げられるもの特有の狡猾さを持った少女みどりちゃんは、「受動的な少女のままならなさと反抗」だけでなく、差別構造の複雑さを表象します。

 物語の中盤、見世物小屋で芸がなかなか始まらないことに悪態をつく観客にワンダー正光が言った台詞、

「臆病なくせに物見高く なまけもののくせに欲深く 被害者意識のかたまりで そのくせ世の中をわがもの顔で歩きまわる 健康うすのろだ」

は、みどりちゃんにも当てはまる言葉なのです。

 『少女椿』が女子中高生など若い女性を魅了するのは、過激で露悪的でエログロナンセンスかつ耽美な世界の中に、客体として理不尽に虐げられるみどりちゃんの境遇や差別構造の複雑さ、「フェミニズム」と言う名前では呼ばないかもしれないが、確かにフェミニズム的な、「女性の生きづらさ」への関心があるからではないでしょうか。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」