交際中、そして別れる際に、後々の未練につながるようなことがあったとしても、それが「相手に危害を加えていい、命を脅かしていい」ということにはなりません。よほどのモラハラで恨みを買っていたのであれば話は別なのかもしれませんが、先の調査を見てもストーカー化する動機は「好意の感情」「好意が満たされず怨恨の感情」が圧倒的多数を占めていて、たとえば「モラハラにあったからその恨みで」という動機は、まったく見当たりません。
そして、たとえどんなにこっぴどくフラれたとしても、もしくは未練が残るようなフラれ方をしても、それをどう処理するかはフラれた側の問題です。messyでも紹介されていた『レンアイ、基本のキ~好きになったらなんでもOK?~』(打越さく良著、岩波書店)を私も読みましたが、そのなかに「別れを告げた段階で、別れは成立している」といった内容の一文があってハッとしました。「別れましょう」「終わりにしたい」とどちらかが発言した段階で、その恋愛関係はもう終息しているはずなのです。
女性も悪い、という常套句
私自身これまでいくつかの交際とお別れを繰り返してきたなかで、どうしてもそのショックを処理できず、「まだ、なんとかできるんじゃないか」「話せばわかってくれるはず」とウジウジ考え続けた経験もあります。でも、それは終わった恋愛を無理に巻き戻そうとしているだけ。現実には、巻き戻し不可なのに。その感情の落とし所をどこにするかは、繰り返しになりますが私自身の問題であって、もう恋愛関係にない相手をそこに巻き込むのはお門違いもいいところなのです。
幸い、私は性格的に終わった恋愛をいつまでも抱えて、負の感情を自分のなかで醸造するのを好まない性格なので、引きずるにしても短期間で済みましたが、この処理があまり上手じゃない人もいますよね。いくら時間がかかってもいいと思いますが、「自分自身のなかで処理をする」ルールは守らなければいけません。復縁も世の中にはありふれているのでそれを願う気持ちも無理はないですが、その前の恋愛をいったん終わらせる必要があるのでしょう。
だからこそ、私はAさんに一片の非もないと考えます。自分の感情を処理できずに、暴力に訴える男が100%悪い。痴漢でも性犯罪でも女性が被害者となるものには、「女性側も悪い」という自己責任論が必ずつきまといます。「露出の多い服を着ていたから」「隙があったから」……。それに対しては今後も異を唱えていきたいのですが、こんな身近に、こんな「ごくごく当然のこと」といった体(てい)で、ストーカー被害女性に自己責任論をふっかける人がいるというのは、少なからずショックな体験でした。しかも、ここまで書いたような内容をいくら説明しても、「Aさんってば罪な女」と混ぜっ返されるだけで、まるで対話にならない。問題の根深さを痛感しました。
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