インタビュー

駅弁・腰痛・インポ…チョコボール向井、AV全盛期を語る/インタビュー【1】

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AV男優3年目にして、インポと急性腰痛の窮地

チョコ 男優3年目の時にちょっとだけ、スランプに陥りまして。慣れすぎて、何を見ても、仕事では、勃たなくなっちゃったんですね。最初の頃は、どの撮影行っても、新鮮だったけど、月間20本撮影ペースだと、女の人の体見ても、何を見ても面白くないっていうか、何にも感じなくなっちゃう。

 ――今でいうバイアグラ的な医薬品は、当時なかったんですか?

チョコ 全くなかったですね。バイアグラが出てきたのは2000年くらいなんでね。だから、全然、ピクリともしなかった。これはヤバイなと思って、その悩んだ時に、AV業界の神と呼ばれる「ヨヨチュウ」(代々木忠)さんという監督に出会いました。ヨヨチュウさんは、チャネリングとか、催眠をかけながら女性が感じるとか、面白い作品を撮っていて。90年代の代表作品『淫乱パフォーマンス』なんて、本当に女優と男優が愛し合う作品なんですよね。本気を撮る人で。見せるためにパンパンってやったり、指でやったりとか、立ちバックとか、私みたいに駅弁やったりとか……派手なことをするのが男優だったけど、ヨヨチュウ監督が言うのは、「ぎっちり抱きしめ合いなさい。相手の目を見て、ちゃんとその人を愛して、瞬間でいいから、好きになりなさい」って。その監督のもとに、修行に行って。ひと皮剥けて、チョコボール向井は開眼できたっていうね。

――ヨヨチュウ監督のもとで修行して、「局部を触らなくても、射精が出来るようになった」と過去にインタビューでお話していましたよね。

チョコ 意識が変わりましたね。無になるんですよ。そこから私の幅は広がってですね。好みが全くなくなって、誰を見ても、さらに勃つようになったの。デブでもブスでもおばさんでも、何でも!そこからですよ、AVが本当に面白くなったのは。加藤鷹さんもヨヨチュウさんを支持してましたが、みんな、男優たちは影響されたんですよね。

 ――そこからチョコさん全盛期に突入ですか?

チョコ 開眼して、95年くらいになると全盛期ですね。しかしその頃にですね、初めて腰を悪くして、急性腰痛で。一番最初のピンチでしたね。駅弁をちょっとやりすぎたんですね。駅弁ダッシュや駅弁うさぎ跳び、色んな駅弁のスタイルをやったことで腰を悪くしてしまいました。それからは、駅弁のフォームを変えたり、上手で持ってたのを下から持つようにして。

――腰を痛めても、やはり撮影では「駅弁」を要求され続けたんですか?

チョコ いや、もう駅弁をそれほどやらなくてもいい感じでしたけどね。90年代の終わりには、加藤鷹さんが女優さんに潮吹きをさせる「ゴールドフィンガー」をやり始めたりして、どんどんAV業界は変わっていきました。それまではAVの世界って“擬似”だったので、潮吹きなんてなかったんですよ。指入れさえNGだった。で、僕や加藤さんが出はじめて、「ゴールドフィンガー」と「駅弁スタイル」という演出のある“見せるAV”が作られて。アダルトビデオテープ、この頃が一番、「AVだな」って感じがしましたよね。ただ、98年あたりからセルビデオが出てきて、AVのバランスが崩れてきたように思います。レンタルもあり、セルもあり、VHSからディスク(DVD)になって……。

――2000年頃がVHSからDVDへの転換期だったのでしょうか。

チョコ そう、忘れもしない、プレステ2の頃ですよ。これに合わせてDVDに移行してきたんですね。プレステ2が流行ったのはAVを観るため、みたいなね。あの頃は、DVDデッキがそんなに普及してなくて。でもプレステ2買ったらDVDを見ることができるでしょ。

――なるほど……。

<続くパート2では、憧れのプロレスの世界からも誘われ、名声をほしいままにしていたチョコボール向井さんが、人生最大のピンチを迎えたことについて、お話していただきます。お楽しみに>

 

☆10周年イベントを11月に開催予定(加藤鷹デー予定)詳細はチョコさんのお店まで!

チョコボール向井の店『CHOCOBALL FAMILY』
東京都新宿区2-12-1 渡辺ビル2F
TEL:03-3358-5113

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