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まんこタトゥ革命史 “妊娠可能マーク”から“ファッション”へ

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 人類がまんこに加えてきた、美白・脱毛・装飾などなどの“まんこカスタマイズ”の歴史をふりかえる連載「まんこカスタマイズAtoZ」。今回は、「下腹部へのタトゥ」のお話です。(連載・全10回予定)

 叶恭子は、パンティの下にバタフライのタトゥを入れている。
 芸能リポーターの井上公造は、それを見て拝んだ。
 そんな都市伝説が、Wikipediaの叶姉妹のページに書かれています。

 真偽のほどはわかりませんが、拝みたい気持ちならわかります。「咲き誇る花の前にあっては、蜜を求めてくる者は“狼”どころか、ちっちゃなちょうちょちゃんよ」――そんな姐御感を、叶恭子のバタフライ伝説からは感じてしまうのです。私はただただひれ伏してしまうのです。

 けれども、バタフライの来た道は、決して追い風ばかりではありませんでした。人類史上、まんこにファッションとしてタトゥを入れる人もいれば、目印としてのタトゥを“入れさせられてきた”人もいるのです。

まんこは誰の持ちものか、誰の名前を書くものか

(『今風化粧鏡』五渡亭国貞、1820年頃)

(『今風化粧鏡』五渡亭国貞、1820年頃)

 かつての日本には、“お歯黒”という習慣がありました。地域や時代によって多少の差はあるものの、基本的には、女性が男性と結婚をした印として歯を黒く染め眉を抜くというものです。しかし明治時代に入ると、西洋人からの「醜い」という批判もあり、古くから続くこの伝統に禁止令が出されます(※1)。

 日本だけでなく、女性の身体に社会的な目印を刻み付けるような風習は、かつての環太平洋地域でもみられました。それはお歯黒のような「既婚者です」の印というよりは、「生殖可能です」の印として、初潮を迎えた少女の体にタトゥを入れるものです。

 たとえば、1899年当時のパプアニューギニアでは、女性の成人式である「クイリガ」で新成人女性の下腹部のタトゥをお披露目していたといいます(※2)。女性たちは、普段はふんどしのようなものを身に着けていましたが、「クイリガ」の日だけは裸の身体をアピールし、年長の女性にココナッツオイルを塗ってもらうという習わしだったのだそうです。

 同じくパプアニューギニアのトロブリアンド諸島にも、初潮を迎えた少女の下腹部に入れるキウキウというタトゥの習慣がありました(※3)。また1918年の資料(※4)によると、首都ポートモレスビーの先住民・モツの人々にも、女の子が5~8歳のうちから全身にタトゥを入れていく習慣があり、特に下腹部に入れるタトゥは、キオドリと呼ばれていたようです。

 キオドリは女の子の父親の家で、女性親族に押さえつけられながら彫られます。本人と同席者は、彫っている最中は沈黙を守らなければいけないことになっており、女の子が抵抗したり泣いたりすると、女性親族に対する無礼であるとされます。伝承では、「もともとタトゥは痛くないものだったのに、タトゥ中に声を出した女の子がいたがために後世の人が痛みを感じるようになった」とされているそうです。

(写真:1912年、パプアニューギニアのコイタブ人女性の写真。タトゥは5歳から始まり、1年に1カ所ずつ付け加えられる。最後の仕上げの年に、胸元へV字のタトゥを入れ、婚姻可能な年齢に達した目印とする)

(写真:1912年、パプアニューギニアのコイタブ人女性の写真。タトゥは5歳から始まり、1年に1カ所ずつ付け加えられる。最後の仕上げの年に、胸元へV字のタトゥを入れ、婚姻可能な年齢に達した目印とする)

 また、ニュージーランドの先住民であるマオリの人々にも、19世紀後期ごろまで、「タラ・ワカイロ」と呼ばれる印を初潮後の女性の下腹部に入れる風習がありました(※5)。もっとも、マオリの人々の間では、家系や性別などを示す「モコ」と呼ばれる印を体に刻む風習がありますから、女性だけが強制されていた……というような状況ではないのですが。

 この「モコ」、実は、マオリの人々の伝説ではこんなふうに語られています。

「DV夫のマタオラさんが、地下帝国に逃げ帰った妻のニワレカさんを追いかけるうち、汗びしょになって化粧がハゲてしまい、ニワレカさんとその一族に大変笑われた。マタオラさんがニワレカさん一族に心から謝罪したところ、ニワレカさん一族は彼を許し、何をしても落ちない化粧として刺青の方法を教えた。それが“モコ”となった」

 さて、こうした印を刻む少女たち本人は、いったいどう思っていたのでしょうか? 大人の印として喜んでいたのでしょうか。それとも、本当は声をあげて抵抗したい気持ちだったのでしょうか。

「目印」から「ファッション」へ

 100年以上前に環太平洋を生きた女性たちに、話を聞いてみることはもうできません。それでも見えてくることといえば、現代において、女性器へのタトゥは「目印」から「ファッション」へと変遷している、ということです。

 もちろん、SM的な動機で「○○様の奴隷」みたいなタトゥを女性器に入れる人はいます。ただ、それが本人の同意なしに行われた性暴力であった場合を除き、SM的な女性器タトゥはプレイの一環なわけですから、社会的に義務付けられる目印とはちょっと違うものですよね(ちなみに写真を見たい場合は、Googleでセーフサーチをオフにして「pussy tattoo slave」とかで検索すると出てきます)。

 ファッション化したまんこタトゥは、着替えるように気軽にコーディネートできるようにもなってきています。2010年には、ニューヨークのサロン「Completely Bare Spa(全裸スパ)」が、ファッショナブルなまんこのために新たなメソッドを提案し、YouTubeでミリオンを叩き出すほど話題になりました。その名も「ヴァトゥ」です。

ニューヨーク発! 「ヴァトゥ」とは

 「ヴァトゥ」とはずばり、「ヴァギナ(まんこ)+タトゥ(刺青)=ヴァトゥ」です。下腹部に型紙を当て、エアブラシで顔料を吹き付けることで、タトゥシールやタトゥスタンプみたいに軽やかにまんこのおしゃれを楽しめます。

 飽きたら、洗い落とせばいいだけ。下着に合わせたコーディネートも楽しめそうな「ヴァトゥ」、現在は日本で施術を受けられるサロンが無く、ググるとオシャレなレストランとかが出てきます。またニューヨークでも、流行はちょっと落ち着き気味。ですが、粘膜部分を避け、使用上の注意を守ったうえで脱毛部分にタトゥシールを使うなどすれば日本でも楽しめそうですね。

 簡単に洗い落とせちゃうってところが、ご主人様ぶりたい側には都合が悪かったのかもしれないですけど。

【参考文献】
※1……「お歯黒文化圏に関する試論 : 日本とベトナムを事例にして」ファン ハイ リン、国際日本文化研究センター、2015
※2……LE TATOUAGE FÉMININ DANS LES SOCIÉTÉS. ANCIENNES ET TRADITIONNELLES : BEAUTÉ, SEXUALITÉ ET VALEUR SOCIALE. Luc Renaut. 2008. 原典は1899年、R.E.Guiseによる
※3……The Trouble with Nature: Sex in Science and Popular Culture. Roger N. Lancaster. University of California Press. 2003. pp.126
※4……Tattooing in South Eastern New Guinea. F. R. Barton. The Journal of the Royal Anthropological Institute of Great Britain and IrelandVol. 48 (Jan. – Jun., 1918), pp. 22-79
※5……Te Awekotuku, N. (1997). Ta moko: Maori tattoo. In R. Blackley, Goldie (pp. 109-114). Auckland, New Zealand: Auckland Art Gallery; David Bateman.

牧村朝子

1987年生まれ。タレント、文筆家。2013年にフランス人女性と同性婚、現在フランス在住。セクシャリティをテーマに、各種メディアで執筆・出演を行う。将来の夢は「幸せそうな女の子カップルに”レズビアンって何?”って言われること」。

twitter:@makimuuuuuu

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