インタビュー

誰かのためじゃない、自分のためのヌード――「ヌードは着衣のひとつ」と語る女体愛好家・七菜乃氏インタビュー

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七菜乃さん

七菜乃さん

「私にとって、ヌードは着衣のひとつです」「すべての女体は、絶対的に美しいと思っています」。そう語るのは、特殊モデル、そして女体愛好家として知られる七菜乃さんです。現在、神保町画廊で開催中の「私の女神たち -My Venuses-」にあわせてインタビューを行いました。

「私にとって、ヌードは着衣のひとつです」裸の体と裸の目、恥ずかしいのはどっち?

――「特殊モデル」と「女体愛好家」。どちらも耳馴染みのある言葉ではありませんが、ふだんはどのような活動をされているのか教えてください。

七菜乃:単に「モデル」と名乗ってしまうと、みなさんどうしても女性誌に載るような、ファッション要素が強いものを想像されると思います。でも、私の場合はヌードでの撮影や、フェティッシュな作品のモデルをすることが多いんです。だから、みなさんが「モデル」と聞いて想像されるようなかたちをしていない。だったら「特殊モデル」と名乗った方がわかりやすいし、説明もしやすいのかな、と。今は、「女体愛好家」として、女の人のヌードを撮ったり、自身が女体を持っているので、モデルになったりといった活動もしています。現在、神保町画廊にて「私の女神たち -My Venuses-」という、森の中で撮影した18名の女性のヌードを展示した写真展を開催しているのですが、こちらも「女体愛好家」としての活動になりますね。「愛好家」を名乗っている通り、女の人の体がすごく好きなんですよ。美しいものとして、すべての女体を無条件に崇めているという感じです。

――七菜乃さんの「ヌードは着衣のひとつ」という言葉は名言だと思っています。ご自身もヌードモデルとして活躍される七菜乃さんならではの言葉だと思うのですが、実際、これはどういうことなのでしょうか。

七菜乃:みなさん、毎日自分が着る洋服を選びますよね。今日はスカートがいい、今日はパンツがいい、というふうに。私にとって「服を脱ぐ」ということもその選択肢のひとつにすぎないんです。長袖から半袖に着替えるときって、そんなに抵抗がないじゃないですか。それと同じように、おっぱいを出してみたり、全裸になってみたりする。私の場合は身体を鍛えることが趣味であり仕事なのですが、そのときどきで服装を選ぶみたいに、「今はぷりっとした丸いお尻がいいな」とトレーニングの目標と、自分の体形を変えていくこともあります。

――人前で裸になることについて、恥ずかしさを感じることはありませんか?

七菜乃:よく聞かれるんですけど、恥ずかしさを感じることはありません。私は体が裸になることよりも、その人の「目」が裸になることのほうが恥ずかしいことなんじゃないかと思います。自分が裸になって撮られているときって、「この人はどういうことを求めているんだろう」とか「どういう媒体に向けた作品なんだろう」ということしか考えていないので、「自分」というものがまったくない状態なんです。逆に、撮っている人のほうが、裸の「目」を曝しているんだと感じますね。つまり、できあがった作品を見れば、その人が被写体をどういう目線でみていたのかっていうのが分かってしまう。「自分の」世界に対する勝手な目線というものが露わになってしまうわけだから、そっちのほうがよほど恥ずかしいことだなと思います。

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餅井アンナ

1993年生まれ。ライター。messyでは家族やジェンダー、生きづらさについての問題を取り上げた文学作品のレビューなどを書いています。食と性のミニコミ誌『食に淫する』制作。

twitter:@shokuniinsuru

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