インタビュー

誰かのためじゃない、自分のためのヌード――「ヌードは着衣のひとつ」と語る女体愛好家・七菜乃氏インタビュー

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「女体」に押しつけられる「女性性」――「私の女神たち」とは?

――最近は、被写体としてカメラを向けられるだけではなく、写真を撮る側に立つ「女体愛好家」としての活動も広がりを見せていらっしゃいますね。

七菜乃:昨年、渋谷のアツコバルーというギャラリーで、チェキを使った「自撮り」の写真展を開かせてもらいました。「女体愛好家」として、自身の「女体」を撮る、というコンセプトで。そのときに、お客さんの中からモデルを募って、「ヌードは着衣のひとつ」を体験してもらうためにヌードを撮影する、という企画をしたら、とても楽しかったんです。それまでは、わざわざ他人を撮る必要性も感じられなかったし、「自分がイメージ通りに動かせる女体を持っているなら、心がある他人を撮るよりも楽だよな」と思っていたんですけど、やっぱり自分で自分を撮るときって、なまじ思い通りにいくぶん「こういうふうに撮りたい」っていう計算が頭を占めてしまって、全然楽しくないんですよね。ただの作業でしかないというか。でもいざ人を撮影してみたら、被写体の人も喜んでくれるし、自分もすごく楽しくて、「これはなんていいものなんだ!」って思いました。そこから、積極的に他の人の女体というものを撮らせてもらうようになりました。

――七菜乃さんがSNSなどでモデルを募集されるとき、いつも「女性」ではなく「女体をお持ちの方」という表記をされていますよね。七菜乃さんにとって「女体」を持つことが「女性」であること、「女性性」を持つこととイコールではない、ということが強く伝わってきて、言葉の選び方についても非常に誠実な方なのだなと感じました。現在、神保町画廊にて開催中の「私の女神たち」、この個展タイトルの意味について聞かせてください。

七菜乃:以前、bar星男というお店で、「たくさんの女たち」というコンセプトで写真を撮って、展示をさせてもらったのですが、その撮影のときも、モデルをSNSで募集していたんですね。当日集まってくれた13名の方の女体を目の当たりにしたとき、すごく神々しいものとして感じられて、「私はこの女体たちを神様みたいに思って撮ってるな」と思ったんです。よく言われるような「触りたくなる」みたいな感情では一切なくて、ただただ神々しい、美しいものとして崇めている。だったら「女神」という言葉がいいんじゃないかなと思って調べてみたら、「『女神』とは『女性の姿』を持っているだけで、『女性』という性別ではない」と書いてあるのを見つけたんです。性差ではなくカタチの話であって、そこに「女性性」が押し付けられることもない。「ああ、私がいつも撮っていたのは『女神』だったんだな」と気がついて、それ以降、私の頭の中ではみんな「女神」に変換されるようになってしまいました。だから今回の個展のタイトルにも「女神」という言葉を使うことにしたんです。

ただ、「女神」っていうのは私の勝手な見方にすぎなくて、その人のすべてを受け入れているわけではないんですよね。とくに写真って、「どの瞬間を切り取るか」とか「四角の枠の中にどう切り取るか」だったりを、個人の勝手な目線で選択することによって成立するものじゃないですか。大勢での撮影になると、ひとりひとりと向き合うことができないから、なおさら私の勝手な目線で切りとっているんだと思います。だから彼女たちは、みんなにとって「女神」であるわけではない。あくまで「私の」見方、「私の」「女神たち」だなということで、こういうタイトルになりました。語彙力がないので、誰もが知っているような言葉でしか説明できないんです(笑)。

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餅井アンナ

1993年生まれ。ライター。messyでは家族やジェンダー、生きづらさについての問題を取り上げた文学作品のレビューなどを書いています。食と性のミニコミ誌『食に淫する』制作。

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