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“子宮作家”瀬戸内寂聴の問題作『花芯』~園子に宿る空虚な悪女性と「お花畑」な男たち

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瀬戸内寂聴が文芸誌から干された小説

瀬戸内寂聴の小説を原作とした映画『花芯』(安藤尋監督)が、全国公開された。『花芯』が『新潮』(新潮社)に発表されたのは1957年。60年近く前の作品だ。ストーリーは、親が決めた許婚・雨宮(林遣都)と結婚した主人公の園子(村川絵梨)が、雨宮の上司・越智(安藤政信)と恋に落ち、不倫関係になるというもの。現代としてはありきたりな主題のようにも思えるが、発表当時としてはその性的描写も含めて衝撃的だったのだろう。

「花芯(かしん)」とは、中国語で子宮を表す言葉。同作では、子宮という言葉が多用されているため、当時の批評家から厳しい批判を浴び、以後数年、作者は文芸誌での活動を中断せざるを得なかったという。“子宮作家”のレッテルまで貼られたというから手厳しい。

作者は雑誌『婦人公論』(中央公論社)2008年4月7日号のインタビューに、「批評家は一斉に私小説だと誤解した」と批判の理由について分析している。もしくは、「こんなことを言う批評家はインポテンツで女房は不感症であろう」という、いささか度が過ぎた反論が火に油を注いだのかもしれない。いずれにしても、“私小説の主人公”としての園子は、反道徳的な「悪女」とみなされた。

そして、発表から60年が経った2016年。女の不倫が珍しくなくなった現代において、園子はありきたりの女になってしまったのかというと、そうではない。「サイゾーウーマン」(2016年8月5日付)に掲載された安藤監督へのインタビューでは、「この映画を見た男性の中には『園子のことがわからない』という方が多かった」という問いかけに対し、「彼女のことが『わからない』という男は、おそらく園子のことが怖いのかもしれません」と回答している。

「怖い」の方向こそ違えども、60年前にしろ、現代にしろ、園子を怖れる男たちの感情には変わりない。不倫がありきたりになった現代だからこそ、かえって園子の悪女性が際立つ。

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宮崎智之

東京都出身、1982年3月生まれ。フリーライター。連載「『ロス婚』漂流記~なぜ結婚に夢も希望も持てないのか?」、連載「あなたを悩ます『めんどい人々』解析ファイル」(以上、ダイヤモンド・オンライン)、「東大卒の女子(28歳)が承認欲求を満たすために、ライブチャットで服を脱ぐまで」(Yahoo個人)など、男女の生態を暴く記事を得意としている。書籍の編集、構成も多数あり。

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