夢子「あ~っ、生理用品差し入れたい~っ!(涙」
うつりん「家族で患者を看護するから、すぐ限界がくるんだうつ。患者の世話を一手に引き受けなくてはならない家族は、監禁が何年も続けばやがて精神的にも金銭的にも看護に耐えられなくなっていくと呉はいっているうつ」
ようやく医師が「滝治療の悪影響」を指摘
夢子「患者の命が、家族に全面的に委ねられてるんだもんね……。呉先生、いいこという!」
うつりん「私宅監置された人は3分の2が死亡、全治する人はいなかったそううつ」
夢子「それじゃあ灌瀧のほうが治る人は多かったの?」
うつりん「いくら当時の精神病院にたいした薬がなかったといっても、灌瀧施設もそれと大差なく、冷水で頭部や背中を打たせて患者に呪文を唱えさせて祈祷を行うだけだったうつ。灌瀧施設でも医師の監督もないし、衛生上の危険もあったうつ。呉秀三は灌瀧施設についても精神病患者の症状を悪化させるものとして、批判していたうつ」
夢子「たしかに滝に打たれるって、滑ったりして普通に危ないよね」
うつりん「大正5年(1916年)には灌瀧施設で8人の患者が亡くなったそうだうつ。ここでも患者の扱いは、医師ではなく患者の家族や介護人の胸ひとつで決まったうつ。当時、呉はこれを『法律に違反する行為であって、国家の適切な取り締まりが必要』といっているうつ。
夢子「灌瀧施設でも家族が患者の運命を握っていて、法律も患者を守ってくれないわけね……滝治療、思っていたより怖い」
家に引き取るのは、医療不信になってから
うつりん「呉によると、患者の家族の多くは、病気の始めのころに多少の医療を受けさせ、そして神仏の加護を求めて滝治療などに出かける。けど効き目がすぐ表れないと、医療不信になり即座に監置する。そして時の経過とともに患者の保護に嫌気が差す、といっているうつ」
夢子「患者の世話は何十年も続くし、医者も薬もナシじゃ、よくなるものもよくならないよね~」
うつりん「私宅監置と滝治療は1950年の『精神衛生法』によって禁止されたうつ。東京・高尾山などの灌瀧施設はその後、精神病院になったところもあったうつよ」
夢子「明治時代の制度が1950年まであったのなら、私宅監置や滝治療を覚えてる世代も現代にまだ生きてるね。当時は病院も少なかったし有効な治療法もなかったから、医療不信も多かった。そして私宅監置や滝治療のほうが普通だったから、『精神病院は恐ろしいところだし、行っても薬漬けにされるだけで病気は治らない』という感覚がいまでも残ってるのかもね! というか、私も無意識にそう思ってたよ」
【参考文献】
『脳病院をめぐる人びと 帝都・東京の精神病理を探索する』(近藤裕・彩流社)
『精神病院の社会史』(金川英雄/堀みゆき・青弓社)
『青年茂吉』(北杜夫・岩波書店)
『【現代語訳】呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況』(訳・解説=金川英雄・医学書院)
『精神病者と私宅監置 近代日本精神医療史の基礎的研究』(橋本明・六花出版)
『産む/産まないを悩むとき』(山本百合子/山本勝美・岩波書店)
『現代医療と医事法制』(大野真義/世界思想社)
(大和彩)
1 2