不起訴となったからには、私たちには合意の有無も事件の真相もわかりません。しかし、そこで傷つけられた人がいる可能性は高い。それなのに、不確かな情報をもとに、まったく関係のない第三者が冤罪を主張する異常性に戦慄しました。
しかも過熱する報道の目的は、真実を明らかにすることではなく、被害を「なかった」ことにし、性犯罪そのものを矮小化することにあるように見えます。男が女を襲うなんてあるわけがない、女が誘うから男はそれにノるんだ……ということにして得をする、または安心するのって、いったい誰なんでしょう。
一夜かぎりの見世物小屋で行われたレイプショーも下品極まりなく不謹慎なものでした。が、その光景はひたすら醜悪だったのです。女性に覆いかぶさる男は暴力的で、品性下劣で、「男は女を犯していい」という身勝手でしかない論理を女性に押し付けていて、ああ、なんて気持ち悪い。けど、その醜悪さこそが性犯罪の本質を突いているように見え、とても腑に落ちたので、私も気づけば拍手を送っていました。
性犯罪の下劣さを表現する
春画の世界でも、強姦を描いた作品はあるそうです。でも女性に乱暴している男性は、必ず醜い男として描かれました。それは、そんなことは粋ではないとする江戸の人たちの社会通念の表れだ、と聞きました。粋であることを何より尊ぶ江戸時代において、それは侮辱的表現である……というのと、今回のゴキブリコンビナートには何か通じるものを感じます。強姦という人として下劣な行為を、お下劣に表現する。彼らの真骨頂を目の当たりにしました。
そこにヘンに社会的な意義を見出すのは、きっと、この劇団の意図するところに反するでしょう。彼らの本領はむしろ反社会性にあり、私が勝手にそこに“正しさ”を見ただけです。でも、この強姦致傷事件にかぎらず、ここ数日で一気に話題となった「スク水少女を使った、地方自治体の鰻PR動画」など、女性蔑視や女性差別的視点に満ち、気が狂っているとしか思えない報道や表現がオーバーグラウンドで堂々と垂れ流されているいま、アンダーグラウンドな表現のほうがよほどマトモだと感じられました。本質的に不謹慎であることと、不謹慎を表現することの違いとでもいいますか。
さて、このレイプシーンの後は理不尽きわまりない展開を見せ、あれ、これって何のお話だったかしら? という結末を迎えます。超ナンセンス! これを観たのが、明け方4:00ごろ。私にとっては、実に痛快な悪夢でした。
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