そんな理屈のもと、幼女(なのに乳房は大きく、乳首も肥大化している)が自分を性的に求めるイラストをひたすら描く日々……。鳥肌が立ちます。その女性が処女だとしても、それはアナタのためじゃないし、経験人数が多くてもそれでもって人間性を否定するなんてありえない。思考回路が、ただただ異常です。
「風俗なんか行く男は汚い!」といい放つ男性も登場します。これは風俗=汚いとしているも同然で、ここにも処女はキレイ、経験人数の多い/セックスワーカーの女性は汚いという偏見まみれの女性観があります。童貞である自分のことを「俺以上に女性や性に対して純情で純粋な男は見たことがない!」といい表してもいます。自分が体験したことのないセックスという行為に対する畏怖、そこからの汚れイメージのようなものもあるのでしょうが、何しろ偏りすぎていてゾッとします。
セックスにおける最低限のマナー
ほかにもネトウヨ中年童貞や、女性に相手にされないため女性を憎み(自称・ミソジニー)男性とのセックスに逃げる中年童貞や、セックスしたい一心でAV男優を目指すも現場で女優さんに気持ち悪がられるだけの中年童貞などが続々と登場しますが、彼らが求めているのは一様に「自分のために存在し、自分の意のままになる女性」で、生身の女性とは完全に乖離しています。ゆえに現実と折り合いをつけられず、歪んだ女性像に固執すればするほど苦しいのは、ほかならぬ本人であるとわかっていても、私としては「女性をなんだと思っているんだ!」といいたくなります。
私はセックスにおける最低限のマナーは「私とあなたは、別個の心と体をもった人間である」と認識することだと思っています。キレイ事のように聞こえるかもしれませんが、それがなければ互いを尊重し合うことはできませんし、欠如した人間が「愛しているならヤラせろ」「ナマでヤラせろ」「フェラはさせるけど、クンニはしない」といってくるわけです。それが最も歪んだ形で出るのが、性犯罪ではないでしょうか(中年童貞=性犯罪者予備軍、といってるわけではありません)。
「相手を別個の人格として尊重する」はセックスにおいてだけでなく、あらゆる人間関係のベースになければならない認識で、親子間でも夫婦間でもそこを履き違えると虐待やDVにつながります。
同書に登場する中年童貞たちはひとりの例外もなく他人の気持ちを推し量れず、コミュニケーションに難があります。彼らも好きでそうなったわけではなく社会構造の歪みや、そのなかでのちょっとしたボタンの掛け違えで中年童貞として生きることになった側面も強いので、すべて自己責任だとはいいませんが、個人的にはやはり関わりたくないなーというのが本音です。そして、その理由は「キモい中年童貞だから」ではなく、「歪んだ女性観に触れたくなく、その人と自分の境界線を私の許可なく踏み越えてほしくないから」なのです。
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