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セックスはエロい人だけのものじゃない、普通にみんながすることだ。セックスポジティブな女性アクティビストとAV関係者の語らい/「SEX and the LIVE!!」レポート

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二村 でも、じゃあどうすればいいのかね? 一人一人がエゴを消して、全体主義になればいいの? 全体主義がヤバいというのは歴史的に証明されてるでしょう。

たかだ では?

染矢 まず意識をするっていうのは、あるかも。こういう構造になっているんだなって自分で自覚する。自意識ってすごく強いんだなとか、親から刷り込まれた考えって強いんだなっていうのを、まず自分の中で持っておくっていうのがひとつですかね。

ト沢 概念に捉えられてしまって。何重にもがんじがらめになってしまってるんですよね。「SEX and the LIVE!!」でもテーマのひとつなんですけど、それをひとつひとつ認識するのがまず最初にやることなんじゃないかと思っていて、自分は自意識で動いているってことだったり、女子力ってなんだろうとか、いろんな概念があるんだな、自分が押し付けられてる世間ってそもそもすごくぼんやりしてるけどなんだろう、っていうのを把握することが一番最初にやることだと思うんですけど、どうでしょう二村さん。

二村 エゴとか自意識を消すっていうことは、僕らの業界では、日本のアダルトビデオの開祖である代々木忠監督が「本当にいいセックス、いいオーガズムというのは、エゴを手放すことである」と言われていて。エゴを無くすっていうのは、全体主義で誰かにまかせて支配されようというのとはちがいますよね。まあ、人間は本当は自由であることが嫌いなのだって衝撃的な、でも納得できる学説もありますけど。「俺を大事にしろ」「私のことを見て、もっと見て」って要求してくる人って、自分自身のエゴに支配されてる。メンヘラちゃんってさ、相手に尽くしているようで、じつは自分しか好きじゃないんだよね。

たかだ そうですよ! って自慢して言えることじゃないんですけど、結局、相手に尽くした私が救われるべきでしょ? みたいな、ベクトルが相手を通して自分に返ってくるんですよね。

ト沢 だからやっぱり、どんな行為でも自分のためにやってるって自覚することがまず第一段階だと思うんですよね。まずは把握する。正体を知ることで、少し自由になるっていうのを繰り返さなきゃいけないんじゃないかなと私は思うんですけども。

二村 そうね、正解は絶対これだとか「リベラルが正しい」とか「日本が正しい」とかって、どっちかに凝り固まるのが気持ち悪いのは、それを言う人が、被害者意識とか敵意とかの感情で自分が動かされているのを認めないから。ポリコレも反ポリコレも、誰かや何かを守るべきだ、っていう「べき論」じゃなくて、じつは感情の問題なんです。トランプが当選したのも、アメリカで、加害者だと思われていた人がじつは被害者意識をもっていたのが可視化されたってことだと思うんですよ。

ト沢 逆も然りですよね。断絶が目の前に提示されたっていう。私、性暴力のことを扱ってるんですけども、断絶を意識せざるを得ないんですよね。2つの断絶。まず、性暴力被害に遭っている人と、性暴力なんて周りにないと思っている人って、世界が全然違っちゃっている。これはわかりやすいんですけども。性暴力被害に遭ったり、機能不全家庭で心を病んで性に奔放になってしまった人たちも、一面的ではないんですよね。ひとつは、私たちみたいに比較的高い教育を受けてそこそこ経済的に安定した家で育って、被害に遭って落ちてきた層と、もうひとつ、上がれない層。貧困問題を抱えて、性暴力を受けることが当たり前の常識化した世界がある。colaboさんがやった「私たちは買われた展」の対象っていうのはその人たちなんですよね。そこの人たちの生活を、比較的高い教育を受けてたり性暴力が身近にないと思い込んでいる層がいきなり見せられて、「こいつら自己責任だろ」って、言う……世界が違いすぎるから。

性欲が悪いわけじゃない 

神田 私はエロの制作側の仕事をしてきたので、ある意味、性犯罪とか性暴力っていうものを、ファンタジーとして捉えたほうが仕事がしやすいところにいたわけですよ。自分自身も、被害に遭ったことがないから妄想が語れるんだなっていう反省がある。ト沢さんと会って色んなものを読んで……たまたまト沢さんに出会う前日に、信田さよ子先生の性犯罪の講習に出ていたんです。そのときの話、お父さんが娘をいじくると、家族がみんな笑って、「お父さんたらも~う」って言う、だから許されるしエスカレートするし、子供は救われない。子供側に自分で自分を救おうっていう意識がなくなるし、その意識を消していくじゃないですか、というお話に、ビックリして。じゃあ私が今まで、大人だからそれを騒いじゃいけないと思って我慢してきたあれや、あれや、あれは性暴力だったの? って気がついたの。その翌日にあなたに会って、あなたのことをググって、やっぱりそうだったんだって答え合わせをさせてくれたんです。何なぜ今まで57年間も私が答え合わせできなかったっていうと、今までそういう(性暴力被害の)話をしてくれる人たちは、受け手の男性的な文脈に合わせて泣くのよ、途中で。

ト沢 求められる被害者像がありますね。私もそれですごく悩んでいて、性被害の当事者としてお話しているんですけども、そもそも私、被害者以外のパーソナリティも持っているんですよね。性被害に遭ったって聞くと、かわいそうで、とにかく傷ついてるっていう文脈で語られてしまうし、笑顔を取り戻してと言われるけど、すごく笑うし別にセックスも好きだし、私自身は助けてくれる男友達がたくさんいたので、おかげで男性全体を嫌いもにならなかったんですよね。でも、それは私のパーソナリティであって、被害者一般像ではないから、そこをどう話していこうって。当てはまらなきゃいけないペルソナというか、そういうものに昔からずっと苦しめられてきて、それに抵抗し続けてきたんですよね。

神田 会った時、ト沢さんがもしマリー・アントワネット的な感じで、上から「被害女性を救ってあげるわ、私みたいに幸せになりなさい」みたいな人だったらどうしようって思ったんですけど、全然そうじゃなくて。あなたが書いてるものには、あなたの肉声がいっぱいこもってたし、それが全然「泣いてる私をみんな見て」じゃなかったって気が付いた時に、すごい楽になったんですよ、私自身が。あぁ、あの時、親戚のおじさんのチンチンを無理矢理見せられたのも性暴力だったし、それをその場で「やめて!」とは言えなくてもあれはイヤだったよって思っていいんだなって。

ト沢 なんでもそうなんです、性暴力じゃなくても。嫌なことをされたら嫌だって言っても思ってもいいんですよ。「性暴力被害に遭ったことない」って言う人もいるんですけど、「あ~でも痴漢くらいならある」とか「変質者に会ったことはある」とか、「実はセクハラされたこともあるけど、そこまで言うほど、別にレイプされたわけじゃないし」って、話すといろいろ出てくるですね。被害者だから叫べとか怒れとかじゃなくて、あったものはあった、だし、あるものはあるんですよね。それに嫌な思いをしちゃいけない、なんてことはない。

二村 性暴力っていうレッテルを貼らないと問題化できないというか、ひとつのイベントごとにできないから、そう呼ばざるを得ないんだけど。イヤなことをされた時に「イヤです」って言う、その時の自分の気持ちをちゃんと知るっていうことですよね? みんな気持ちが、わからなくなっちゃってるんでしょ?

ト沢 そうです、これは世間でいう被害なんだろうかっていう、世間の物差しに合わせて自分は被害者かって測ってる。自分が辛かったり嫌だっていうことを忘れてしまうんですよね。でも逆に、誰でも人を傷つけうるんですよ。

染矢 性教育の現場で話をしていると、生徒さんとかからお悩み相談とか「こういうことがあって」という話を聞くんですけど性暴力とか避妊をしないセックスとかって、“悪い男”がするっていうイメージがあるけれど、本当に普通の人が性暴力したり避妊しなかったりっていうのが、めっちゃある。被害者になる子も、弱いイメージの子とか、逆にめっちゃ遊んでる子とかじゃなくて、普通の子がなってるっていうのが、日本の問題の奥深いというか、重要なところだなって思います。

二村 もう一歩普遍的なところまでいくと、みんなが自分が加害者だっていうことを知らないと色々よくならないんじゃないかな。どんな被害者も加害者である。

たかだ 私もさっきから、「ダメ男に被害~」って言ってるんですけど、私も加害者なんですよね。「400万取られたよー」とか言いますけど、やっぱり多分、彼に必要以上のことをして、彼の気持ちを踏みにじったりとか、こうあるべきだって押し付けていたっていう意味では、ダメ男と同じくらい私もダメ女なのかなって思います。

神田 それって私が『ゲスママ』を書いた動機と繋がるところがあります。例えばセックスで放縦なことをするのがゲスだとは思っていなくて、ただ、自分が自分を知るために男性の欲望をずっと利用してきたことには変わりはない。彼らと、愛情で繋がるのではなくて、自分の性を解明するために彼らの欲望を利用したのはゲスだったなぁって思うんですね。

ト沢 私自身の話になるんですけど、自分自身が結婚にすごく苦しんでいたんですよね。私のパートナーの男性はとても優しくて可愛らしくて、家事もできるいわゆる、オトメンって言われるような男の子で。私自身も彼のことがとても大好きだし、ただ結婚生活がすごく苦しかったんですよね。なんでかというと、彼は人と付き合うのが実は苦手で、私を通じて友達がたくさん出来ていた。それで私が、彼と付き合った直後に性暴力被害に遭って引きこもりになってしまったり、体調崩してしまったりっていう波を繰り返したことで彼に負担をかけていたのもそうだし、結婚して夫婦になっても、私が動けない時には、彼は私を通じないと友達と遊べない。実は彼の依存がとても強かったけれど、いつも私が体調のことで彼に依存しているように見えていたし、私もそう思ってたから……主婦だから頑張らなくちゃって思って、みんなにいい旦那さんだね、理想の夫婦だね、理想のカップルだねって言われて、辛いことが続いても自分が悪いんじゃないかって……結婚のイメージにずっと縛られ続けて苦しかった。でも彼はとてもいい人なんですよ、それは変わらなくて。

それで二村さんの読書会に行ったあたりに私はちょうど、別居をはじめた頃だったんです。その前に精神科の病院を変えて、先生に「あなたがされてることは酷いことだよ」って言われて、ふと気づいて。「彼が悪くなくてもその行為はダメなんだよ」と。そこから「被害者/加害者って切り分けるんじゃなくて、その行為はイヤだよって言っていいはずだし、周りからみてどんなにいい旦那さんだって、ツライことはツライって言っていいはずだ」っていうことにだんだん気付いて、自己肯定感が回復して今こうやって動いてるんです。そういう、この人は悪い人/いい人って切り分けるんじゃなくて、人格ではなく行為をもっと見ていったほうがいいんじゃないかなぁって。

男の持つ罪悪感、女の持つ被害者意識 

二村 問題はね、「私は傷つけられました」って告発されたことによって、傷つけた側も「ごめん」じゃ済まなくなるんだ。こっちが加害者だと確定して、罪悪感が沸いてしまうんだよね、自分の存在に対して。ヤリチンとか、攻撃的な言動の人って、もともと、ものすごく罪悪感もしくは被害者意識をもってると思うんです。おそらくは子供のころからの深い感情。自分の深層意識に耐えられないから、暴力もふるうし自傷もする。パワハラや暴言とかも含め、それが肉体的な暴力じゃないにしても。

ト沢 性暴力の話をすると……私は男性を責めたくないって気持ちがとても強いっていう話をしているので、男性も私に話をしてくれることがあるんですけど、大体が(自分の性欲に対して)罪悪感がすごいって言うんだけども、でも別に性欲が悪いものなわけではないはずだし、性欲って包丁みたいなものだと思ってて、包丁をいきなり人の首元に突きつけたら怖いじゃないですか、怖いし切っちゃったら血が出るし。でもそれで料理をすればいいんですよ。野菜を切りましょうって。使い方だと思う。だから性欲があること自体に罪悪感を感じなくていいんじゃないか。

神田 問題はその罪悪感がなんでそんなに募るかっていうことだと思うんですけど。昔、女子高生コンクリート事件の報道があった時に、当時の夫に「ひどい事件ね」と言ったら、彼は「あぁ、あれはきっと女の子がスケバンなんだよ」って言ったのね。そのとき私は、男がそういう犯罪するっていうことを認めるのが怖いんだこの人、って思ったの。

DVを受けている側の文章っていうのは色んなところで読めるんだけど、DVしてる男の心理をつぶさに書いたものを、どこかにあるのかもしれないけど私はまだ読んでない。それを読んで共有するっていうことは、もしかしたら暴力を少なくしていくことに繋がるかもしれないと思うんですね。それを読んだ人が「俺はやらないぞ」ってなるからじゃなくて、お互いが情報共有することで自分ら100人並んでる中で1人やっちゃうかもしれないっていうことをわかって、みんなの空気の中で、その可能性を低く出来るんじゃないかということです。

二村 加害者であるという意識と、根本的な罪悪感・自己否定感は切り分けないと、生きていけないし、被害者の人も、自分が被害者であるって思いを抱えつづけていると、どんどん苦しくなってくる。もしも「自分は被害者であるから加害者をやっつけたい。やっつける権利がある。やっつけなくては自分が死んでしまう」って気持ちだけをつのらせていたら、最終的には戦争になってしまう。もうツイッター上とかでは、ほぼ戦争になってますけど。

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