家族観インタビューCASE2・ジュンペイさんの第3話です。初回は、「男と女が惹かれあい、告白して付き合って愛し合う」現象がさも自明のこととされ、規範として強制されている社会への違和感について。第2話では、そのヘテロ社会(強制異性愛社会)を破壊し、男性の存在を脅かす装置になり得る無性生殖を、ジュンペイさんが「良いことだ」と前向きに捉えている理由を話してきました。最終話となる本稿では、「産まない」性である男性が、生殖をどう捉えているのか考えます。
「Family? CASE2 セックスをしなくても生殖はできる。レズビアンカップルに精子提供を試みるジュンペイさん」~最終章~(取材日:2013年10月)
▼前編/「“異性”を好きになって当然だ、お前はどの“異性”が好きなのだ」と当然のように問う社会のおかしさ
▼中編/「性愛の結果」ではない生殖は、強制異性愛社会からの解放だ
性の三角形(セックス・ジェンダー・セクシュアリティ)からの解放のその先
――セックスと生殖が切り離されるのを目の当たりにすることで、ジュンペイさんの中でヘテロのセックスが今までの社会的な意味を失う、という話をここまでしてきました。社会的な意味を失い、友愛としてのそれが可能になるかもしれない。言い換えると、それこそが“解放”であり、そうなることで、性愛やセックスに対してさらに別の意味合いが出てくるかもしれないというのがジュンペイさんの見立てでしょうか。
J うん。そうだね。今はあまり元気がなくて、なんか受動的で、性的なことに欲望を燃やせないっていうか、楽しめてないなって思う。それが精子提供という行為によって「生殖」に自分が関われるかもしれないとなった今、少し前向きな感覚になってきたような気がする。だけど、これで解決するような気がするっていうのも確信ではなくて、なんとなくの感覚というか、なんとなく突き動かされてやってるだけだから、そんなに上手く説明とかもできなくて、あとあとになって辻褄が合うとか説明ができればいいなって思ってやってる。でもさぁ、ヒラマツさんは元々あまり恋愛体質じゃないみたいだけど、「生殖」じゃなくて「恋愛」(好きな人を愛すること/愛されること)を生きるモチベーションにする人だっているわけじゃん。恋愛に欲望を燃やしたり生きる意味を見出したりしてる人を、ヒラマツさんはどう見てるの?
――どう見てるって……なんか上からな感じですね(笑)。別に対象が違うだけだな、って思ってます。「愛されたい」とかはよく分からないけれど、「守りたい他者」みたいな存在が生に覇気を与えるというのは非常に意味が分かる。ただ、私は恋人やパートナーがその「大切な、守りたい、寄り添う他者」に当てはまるような経験は今のところなくて、その対象となるのは子供って存在しかイメージできなかったというか。それもさっき話したみたいに、“大きな意味での次世代”の中に、特に自分に責任感や活力をもたらす存在としての“子供”がいたらいいなぁっていう考え。私にとって恋人やパートナーみたいな存在は、生きる原動力としては説得力に欠けるんですよね、今のところ。そもそも、そういう特定の相手を作ろうって気もあまりないわけですし。友人たちがカップルになっていくのを、いつもただ見てるだけって感じ。自分はそっち側に行くことってないんだろうなぁって。自分が「誰かとつがいになりたい」と思えないことに、寂しさみたいな感情はあるんだけど、羨ましいとは思わないんです。
まあ、今現在の私の恋愛観が、自分にとっての完成形ってこともないんだろうと思っているので、むしろ、ようやく自分が欲しかった生活(子供)を手に入れたから、これから私の恋愛観というのは作られるのかもしれない。そういう意味で、ジュンペイさんの言っていたことにはすごく共感します。生殖を叶えたから、やっと落ち着いて性愛に向き合えるっていうか。私の場合、まだ性愛についてはそんなに積極的に考えるつもりはないけど、そういう可能性は感じていなくもないです。