“生殖”に対峙する男性の立場の弱さ。産物として立ちはだかる“責任”
J 僕は初めてヒラマツさんと話したとき、「同じようなこと考えてる人いた! しかも、もうすでに実現しかけてるし!」って思ったんだよね(笑)。でも、「パートナーは欲しくない、子供だけ産みたい」という欲望を叶えることのハードルは、女性のほうが低くて実現しやすい。僕が男として生きてきて感じるのは、やっぱり男が女をセックスに誘って、女が妊娠出産を決断してくれないと、生殖が叶わないのがヘテロ社会の文化であり仕組みだということ。それだと、僕が触発されるような女の人が妊娠出産をする気になってくれない限り、僕にとって生殖が遠い存在のままなんだよね。それに、鬱になってから、誘うのがしんどいと思うようになった。誘うってすごいエネルギーが要る。
――そうですよね。私も妊娠してから、生殖に向き合う立場としての男の人ってすごく可哀想だなと思ってしまう場面がありました。というのも、私の場合、タイミングは不意だったにしても、結果として念願の子供ができたわけで、でもこの子の生物学上の父親にとってはすべてが不意でしかない。だから彼はすごい罪悪感に打ちひしがれていて、「全部僕の責任だ」って言ってたの。でも、絶対そんなわけないじゃないですか? 全部なわけない。普通に考えて私にも絶対に責任がある。ただ、私はこの子を産んで育てることで責任を果たすという風に考えることもできるけど、彼は結婚もできなくて、お金が出せなかったら責任をどうすることもできないって感じているんだと思う。それで、「責任の話をするなら、二人ともに責任があるのだから、全部だなんて言わないで」ってことと、「そもそも責任うんぬんはさて置いて、現実的にあなたにできることやあなたがしたいことをすればいい。それは何なのかを考えてほしい」という2つのことを私は彼に話しているつもりなんだけど、なかなか伝わっていない感覚があるんです。今は「全部自分が悪いんだ」フィルターがかかってしまっているのかな。だから、とにかくなるべく責めないように、「あなたは悪くないよ」オーラを出して話してるつもりなんですけど、まぁそこまでするのもよく考えたらおかしいですね(笑)。けど、そうしないことには話が進まないから。で、どんなに「あなたは悪くないよ」オーラで接しても、それでも彼の「僕のせいだ」フィルターは無くならない。それくらい、男の人にとっては、生殖というシーンでの女の人に対する引け目が大きいのかなぁって思った。その一方で、はなから責任を一切負おうとしない男性もいるんだろうけど。
J 今の異性愛社会で男性が抱いている主流な幻想や責任感では、男性にとっての生殖への献身の内実というのは、夫として妻や子供を経済的に支えることや、一家の大黒柱として仕事に差し障りのない範囲で育児を手伝う、ということになっているんだよね。妊娠に至るセックスだけで生殖への関わりが終わり、とはならなくて、むしろセックスが生殖への献身の始まりとしてイメージされてる。だからヒラマツさんの子供の父親の人は、経済的にも家族制度的にもその負債を返済できそうになくて、罪責感にさいなまれているのかもね。