カルチャー

自然分娩・母乳育児礼賛も一刀両断な『ママ・マリア』における蜷川実花の芸能記者っぷり

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 終盤には蜷川の父、蜷川幸雄のいわゆる“イクメン”としての貴重な経験談も。当時、子育てに奮闘する妻を見て「なんだかキレイじゃなくなっていうなあと感じていました。他人の目を気にしなくなって、ボクを通してしか社会を見なくなる。世の中と繋がれないような女はイヤだなあ」と思ったのだという。そして「『女は働いていたほうが、断然格好いい』と言って、産後3ヶ月で仕事に復帰させました」と! こうして当時仕事のなかった蜷川幸雄が主夫として子育てに奮闘する様子も振り返っている。確かに出産直後は筆者も、24時間続く授乳でもはや家では半裸、これまで経験したことのないレベルの慢性的な睡眠不足と慣れない育児で半ばハイのような、おかしな気分だった。なんせ赤ちゃんは寝てもすぐ起きるので読書時間もなければ、泣き声でテレビの音も聞こえなくなるため、ワイドショーを切れ切れにザッピングするのが関の山。情報が取り込めず、蜷川幸雄の言う通り、夫が外界との唯一の接点だった時期はあった。あの頃の自分の記憶があまりないのだが(周囲のママ友も当時の記憶がない人が多い)、スッピン&半裸で確実に見た目は悪かっただろう。

 最後の特集は『働くママのセキララ座談会!』。蜷川のほか、産婦人科医の宋美玄、作家のLiLy、デザイナーの小林加奈の4名がタイトル通りの赤裸々トークを繰り広げる。冒頭から宋美玄が「子供を産んでも何もあきらめないというのがコンセプトなんです」と余裕をかまし、先ほどの川上未映子の“両立はありえない”宣言と相反する、無理した感じの発言に身構えたが、LiLyは「『遊び』をあきらめてる」と人それぞれ。話は産後のセックスレス、出産によってまんこの締まりが悪くなるなど、ママ友との井戸端会議でもなかなか話題に上らないアンタッチャブルだけど皆が気になるテーマにも及んでいた。

 小林は、「完全母乳神話に苦しめられた」と昨今の完全母乳育児推奨の風潮によって、産後一カ月での仕事復帰の際、心ない言葉を浴びせられ傷ついたことなどを語り、蜷川は自然分娩神話について「ミルクで育てているお母さんたちや、無痛分娩や帝王切開で出産したお母さんたちは、自然分娩もいいよね、母乳もいいよね、ってなるけど、反対側にいる一部の人たちは、完全母乳や自然分娩が常識で、それ以外は全否定。その圧力はすごい」と、母親になる女性を苦しめる世の“完母育児”、“自然分娩”礼賛の風潮に疑問を呈した。全く同感である。もうこの座談会に乱入して話に参加したくなるほどである。そんな赤裸々トークの中、蜷川がちょいちょい自身の離婚ネタで笑いを取るところや、自身の幼少期に働きに出ていた母親は、今でもそのとき子供の傍にいれなかった自分を責めているが、子供だった自分にとっては記憶がないのでさほどのことではない、という話が印象的だった。

 筆者が出産を経て母親になった際、自分を取り巻く環境と、自分を見る周囲の目が変わった。物理的に自分の時間がなくなるうえ、ぐっすり眠れる日は子供がそこそこ大きくなるまで一日もない。また母乳育児や自然分娩など、周囲はこちらの事情も推察することなく無遠慮に価値観を押し付けてくる。かつて育児をしていた女性たちは当時自分たちが味わった苦労を現代の母親も味わうべきだといった圧力をかける。片親への偏見もゼロではない。

 自分を取り巻く環境は、自分の努力や金である程度やりくりすることができるが、問題は周囲の目である。自分は自分だ、と思っていても周囲から、母親はこうあるべきだという類いの押しつけを繰り返されるのは神経が摩耗する。例えば、子供を保育園に預けて仕事をすることについても、“小さい頃は親と一緒にべったりのほうが良い”などという価値観を押し付け難色を示すムキもあるのだ。自分が働きたいと思ってそうしていても、このような“世間の声”に罪悪感を感じる瞬間がないわけではない。また、母親と父親がいて、ひとつの家に住んで……といういわゆる一般的な家族の形と異なる場合も、なにかと肩身の狭い思いをすることがある。このムックは、そういった世間の勝手な価値観の押し付けにより窒息しそうな働くママたちに少なからず安心感を与えてくれるのではないだろうか。

ブログウォッチャー京子/ 1970年代生まれのライター。2年前に男児を出産。日課はインスタウォッチ。子供を寝かしつけながらうっかり自分も寝落ちしてしまうため、いつも明け方に目覚めて原稿を書いています。

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ブログウォッチャー京子

インスタウォッチが日課の子持ちライター。子供を寝かしつけながらうっかり自分も寝落ちしてしまうため、いつも明け方に目覚めて原稿を書いています

@watcherkyoko