神田つばきさん、57歳。今年、自らの人生を綴った書籍『ゲスママ』(コアマガジン)を出版した。祖母・母と女だけの家で育った幼少期、結婚、セックスレス、38歳で子宮頸癌による子宮摘出からの離婚。12歳と8歳の娘二人を連れて家を離れ、働きはじめた彼女は、同時に性のオデッセイに出航した。縛られたり殴られたりしたいという欲望、テレクラや出会い系の利用、緊縛モデル志願、アダルトライター、自ら企画してのAV出演……。“常識”で見れば、眉をひそめたくなる話だろう。
彼女は当初、この本で子育てについて書いてほしいと編集者から依頼されていた。
「AVも含むセックスワークをされている女性が子供を産み、家庭を持つっていうのは現実に起こっていることで……それこそ産まれてから成人するまで、お母さんがセックスワーク関連の仕事をしていたという家庭もいっぱいあります。しかし世間では、AVにしろ風俗しろ、セックスワークの女性に家庭的なイメージを認めない、あるいは両者が水と油であるかのように見てしまいがち。神田さんは以前から面識がありましたし、神田さんの娘さんの話も人づてに聞いていましたから、当初は単純に“神田さんの子育てってどんなふうだったんだろう”って興味を持ったんです」(担当編集者)
しかし神田さんは、自らのバックグラウンドを描きながら、育児のあれこれを同時に描くことは不可能だったという。なぜだろうか? このインタビューでは、『ゲスママ』で描かれなかった、セックスに溺れる母親と子供との関係について、聞いていきたいと思う。
仕事もセックスもしたかった
神田 私が性を仕事にしていて、家に帰ったらお母さん、という女性だったらきっと、子育てについて書けたと思います。だけど私は、プライベートで性を探求したくて、それが高じて性に関わる仕事をしていたから、話がぐちゃぐちゃになっちゃって、書けなかったんですよね。家に帰ってもお母さんの顔になってない日があったと思う。子供にしてみたら迷惑な話なんですけど、「今日何考えてんだろ、この人、なんか上の空だけど」みたいな日がほとんどだったんじゃないかしら。
――ご結婚は早かったんですか。
神田 24歳でしたね。1人目を出産したのは27歳のときで、2人目は31歳のとき。上の子がもうすぐ30歳になりますね、下がまもなく26歳になるのかな。
――すっかり大人ですね。つばきさん自身、女性だけの家庭で育って、物心ついた時には離婚されていてお父さんの影も家の中にはなかったんですよね?
神田 そうですね、父が家に居た記憶っていうのは、多分2歳くらいの時かな、離婚直前の時だと思うんですけど。本にも書きましたけど、父は自衛隊に所属していたらしくて、自衛隊の官舎から週末に帰ってきていたんですね。そのことを、父がくれたチョコレートの包み紙で覚えてる感じ。父の姿そのものは、覚えていません。ぼんやりどころか、何にも。
――写真とかなかったですか?
神田 写真は3枚だけあったんですけど。でも、母が亡くなったあと、実家から大量に父の写真が出てきたんですよ!
――捨ててないんだ。
神田 捨ててないんですよ。だからやっぱり母もなんていうかやっぱり女性なんですよね。父だけじゃなく、離婚後に自分をチヤホヤっていうか崇拝してくれた男性の写真とか貰ったラブレターとかは全部保管してあって。
――お母さまも結婚と出産が早かった?
神田 早かったですね。19歳で結婚して、21歳で私を産んで。で、24歳で離婚し、バリバリ働いて。昔は私、母のことをすごく可哀想な人だと思ってたんです。母が私と祖母を養うために必死に働いていることを、みんなの犠牲になって可哀想だなって……でもそうじゃなかったのかもしれない。自分が仕事をバリバリやるようになってから、働くってすごく幸せな面もあるとわかりました。母は自分の好きな洋裁を仕事に選び、祖母はそんな母を高く評価していたんですね。経営面はすべて祖母が取り仕切り、母は仕事・家事・育児すべてをやっていましたけれど、責任はうまく二人で分担していたようです。
――母と祖母の二人三脚だったんですね。つばきさんのおうちでは、父と母の離婚は「誰のせいでもない」っていう空気だったんですよね。離婚の理由が語られなかったことで、少女時代のつばきさんは「自分が変な子のせいで離婚しちゃったのかな」と思いつめてしまったことがあった。やっぱりどこかのタイミングで明かしてほしかったなとは思います?
神田 思います。何回も聞きましたし、父に会いたいって言いましたし、どこにいるのかとかも教えて欲しいとお願いしたんですけど、母も祖母も一切言わないの。