お母さまに通院を妨害されただけでなく、子宮内膜症という病名をつけた途端に、あらぬ疑いをかけられ心ない言葉を浴びせられた夢子。夢子のお母さまはなんていうかまあ、ちょっと独特なところのある方でね。
「この家族で心が腐ってるのは夢子、アンタだけだよ!」
「アンタが結婚するとき、結納金はアタシにきっちり払ってもらうからね!」
などなど、これまでも夢子にパンチある言葉を投げつけてきたの。それらの言葉を不本意に思いながらもなんとか流してきた夢子だったけど、今回の言葉が心の堤防を崩壊させる最後の一滴になっちゃったみたい。
その夜、出刃包丁を見つめながら真っ暗な自室にちんまり座っている夢子がいたわ。夢子はすべての感情が凍りついていたみたいだった。悲しくもないし怒りも感じていない。だけど、夢子には確信があったの。自分がとるべき唯一の合理的・論理的かつ当然の行動には、その出刃包丁が不可欠だという狂った確信が。
本人にはそれが狂ってるなんてわからないのが問題なんだけれどね。まったく世話が焼けるわよ。
眠れない、食べれない
夢子はわたしにとって孫みたいなものなのね。わたしは、うつりんと違って歳でもう体力がないから、夢子のことは主に遠くから見守ってるの。
わたし、性格的にあんまりダイレクトに顔合わせるのが好きじゃないのよ。あんまり距離が近いのも、ほら、アレでしょ? 孫は来て良し、帰って良しっていうじゃない。けどまぁ、今回は事情が事情だから、よっこらしょと腰を上げて夢子の前に姿を現したわよ。
夢子は出刃包丁を傍らに相変わらず暗い部屋に座ってぴくりとも動かないの。ちょっとした眺めだったわよ。
わたしはまずマッチを擦ったわ。マッチの燃えるいいにおいがして、きれいな光で部屋はぼんやり照らされたわ。子どものころ、夢子はマッチの光が好きでねぇ。わたしがマッチを擦るたびに「もういっかい! もういっかいやって!」ってせがんだものだけど。今日の夢子ったらこっちを見もしないの。まあ無理もないか。そのまま私はたばこに火をつけたわ。銘柄はマイルドセブンね。ひと口深~く吸って煙を吐きだしてから、夢子に声をかけたの。
「ねえ、実の母親にあばずれ呼ばわりされるのって、どんな気分?」
「あばずれ……? ヴフォッ……あばずれって……プッ……クククク」
あばずれという時代錯誤な言葉がツボにはまったみたいで、夢子はしばらく笑っていたけど、やがてぼたぼた涙を排出しはじめたわ。やれやれ、ようやくよ。感情の発露があってよかったわ。
こんなはずじゃなかった、裏切られた
「もう今日は痛み止め飲んで、眠りなさいな」
「……眠れない。ここんとこ、寝ても2時間ごとに目が覚める」
「今日はご飯食べたの?」
「最近食べれない……さっき卵焼き作って食べたら、全部吐いた」
「腐ってたんじゃない? その卵」
「腐ってるのは私だけだって、おかーさんがいってた……」
そう答えてまた夢子はしゃくり上げはじめたわ。まったく困った甘ちゃんだわね! わたしはだんだんイライラしてきて、一気にしゃべったわ。
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