「月9と眼鏡とリモコンと」番外編

『終わらない青』アルバトロス
地獄って、どんな場所だと思いますか? あくまでも個人的にですが、私は地獄って、登場人物が永久に変わらない、密室のような場所、No Exitな場所だと思っています。そして場合によっては、家庭という場所がそんな地獄になる、と思っています。
緒方貴臣監督による『終わらない青』は、虐待や自傷がテーマです。地獄と化してしまった家庭という密室で、何が繰り広げられているのかを教えてくれる映画です。
主人公の楓(水井真希)は、一見ごく普通の高校生です。晴れた日に傘を持ち歩いたり、小犬の亡き殻に赤い傘を差しかけてやったり、木とお話したりなど、少し風変わりなところもあるけれど、外見はどこにでもいそうな普通の女の子です。
そんな楓の腕は、真夏でも着込んだ長袖のシャツで隠されてはいますが、実は、リストカットの跡で覆われています。映画が進むにつれ、家庭という密室で楓が父親から受けている暴力や性的虐待が、徐々に明らかになっていきます。
虐待加害者にとって、家庭は楽園かもしれない
この映画は、自傷に対する私の認識を変えてくれました。この映画を見るまで、なぜリストカットなどの自傷行為をする人がいるのかよくわからない、というのが正直な思いでした。自殺をためらって、体を傷付けているようなものかしら? と思っていましたが、それは違うし、自傷行為そのものよりも、その背景に注意をむけたほうがいいのでは、とこの映画を見た後思うようになりました。
それほどこの映画には説得力がありました。家族で囲む食卓でのシーンは、特にリアリティを感じました。このシーンでは、家族と目も合わせず、無言だった父親が突然、特に理由もないのに怒鳴り出し、楓に暴力を振るい、食べ物を床にぶちまけます。さらに「食べ物を粗末にするな」と、楓に床に落ちたものを食べることを強制します。
機能不全家庭で育った人ならば、このシーンを見て「ああ、うちと一緒だ」と思われる人は多いのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。
今回作品を改めて見直して思ったのは、家庭は、虐待される者にとっては地獄でも、虐待する者にとってはこのうえなく心地良い天国なんだな、ということ。
だって映画の虐待父、性欲から支配欲まで、家庭をありとあらゆる欲望を満たす場にしちゃってるんだもん! もう、やりたい放題。密室だから、誰にも咎められないし。
さらに、この父親にとって楓は、自らの快楽のために存在する道具でしかない。人としての楓は、父親にとって存在しないも同然なのだなとも思いました。だから娘がリストカットの傷だらけでも、自分の子を身篭ろうとも、虐待をやめない。
どんなに歪んだ天国であっても、それを手放そう、なんて人はいない。だから虐待はなくならないんだなと改めて背筋が凍る思いでした。
彼女はなぜ自傷するのか
楓は、睡眠や入浴に至るまで、人間らしい生活のすべてを剥奪された状態です。彼女はおまじないのように、赤い傘をさし、赤い手帳に赤いバツ印を書き込みます。まるで、赤いものが自分を守ってくれると信じているかのように。お腹の「赤」ちゃんに優しく話しかけたり、絵本を読んでやったりすることは、楓が人間らしさを取り戻せる、数少ない時間でした。
けれど、赤のおまじないは、楓を守るには不十分でした。映画ラストでは、あまりの不幸なできごとに、涙さえ枯れ果てた楓が、朦朧とする意識の中、自傷する様子が描かれます。
このシーン、賛否両論あるかもしれませんが、私には、楓が一生懸命、自分を保とうとして自傷しているように見えてなりませんでした。いわば、自傷が最後の、究極の、赤のおまじないとして機能しているのでは。そんな方法以外、自分を保つ術がない楓が憐れです。
現実と折り合って生きていくための手段が、決して推奨はできない形をとることもあると思います。
いっそ発狂してしまったほうが楽なんじゃないか、とさえ思ってしまうような状況。誰にも相談できないし、誰も助けてくれない、けれど生き続けなくてはいけない。生き続けるために楓がおまじないに頼ったからといって、誰も責める権利などないのではないでしょうか。
謝るべきなのは、彼女じゃないのに、映画で楓は、いつも謝っています。父親に謝り、自分の体に謝り、お腹の子にも「ごめんね」と話しかけます。悪いのは楓ではないし、非難されるべき人は他にいるのに。楓は、父親の快楽の道具なんかになるために生まれてきたんじゃないのに。
『終わらない青』の見どころの一つは、不幸や悲しみや絶望を、静かに、感情を排した方法で描写している点だと思います。作品では音楽が一切使われず、カメラはまるで監視カメラのように定点から家庭での惨状をただ淡々と映しだすことに徹底しています。「今ひどいことが起こってますよ」「主人公は悲しんでますよ」といった、ありがちな記号が一切使われていません。
全く感情を出さずに俯瞰で淡々と事実を映しだすカメラは、楓の心の目そのもののようにも思えます。楓は虐待されても暴力を振るわれても、一切抵抗せず無表情のまま受け入れるのみです。誰にも助けてもらえない状況の中で、シャットダウンさせるしかない固まった心を、カメラワークが代弁しているようです。
淡々とした描写から受け取るものは、見る人によって違ってくると思います。虐待の問題に向き合うときと同じく、個々に感じて、個々で解決策を模索するしかない、というメッセージを個人的には感じました。
もうひとつの見どころは、主演の水井真希さんの演技だと思います。楓の役は台詞が非常に少ないのですが、水井さんには佇んでいるだけでストーリーが滲み出てくるような存在感があります。学校からの帰り道、家に徐々に近づくにつれ、変化していく楓の表情からは、全ての感情……絶望、恐怖、諦め、嫌悪などが読み取れます。これだけのことを表情一つで表現できる女優さんは、なかなかいないのではないでしょうか。
この映画を見ると、自傷者を非難するのは簡単だけど、なぜその人が自傷してしまうのかという原因を考えないと何もならないということに気づかされます。
「この作品をきっかけに自傷者への偏見や無関心による悲しいニュースが少しでも減ることを願います」と監督はコメントしています。
『終わらない青』を見たからといって、自傷や虐待のことが完全にわかるようになるとは当然言えません。けれど、この作品を見た後では、少なくとも自傷という行為のみを否定する気にはならないのではないかと思います。そして、自傷当事者を批判するのではなく、当事者を自傷に追い込んだ理由に、無関心ではいられなくなるのではないでしょうか。
この映画のことはいろんな人に知ってもらいたいと思います。けれど、矛盾しているようですが、誰でも今すぐ見たほうがいいとは決して言えない映画でもあります。特に、虐待を受けた記憶がまだ生々しい虐待当事者は、心の傷をえぐってしまうことになりかねないと思うので、慎重に時期を選んでご覧になることをオススメしたいです。
■歯グキ露出狂/ テレビを持っていた頃も、観るのは朝の天気予報くらい、ということから推察されるように、あまりテレビとは良好な関係を築けていなかったが、地デジ化以降、それすらも放棄。テレビを所有しないまま、2年が過ぎた。2013年8月、仕事の為ようやくテレビを導入した。
連載【月9と眼鏡とリモコンと】