家族観インタビューCASE2・ジュンペイさんのお話は一旦先週までの3話で完結したのですが、messy掲載に際して、追加で現況をお聞きしました。
特に、レズビアンカップルへの精子提供で生まれた子どもには「父親や精子提供者が存在したこと」を隠すことができないため、将来どうやって伝えるべきなのか、また、どうやって伝えたいのか、など、必ずと言っていいほど沸き起こる議論(先日もそういった問題に言及した医師へのインタビュー記事を拝読しました/サイゾーウーマン:「精子バンクの商業化は多くの人たちの幸せにつながる」生殖医療の最前線の医師が語る、日本の家族観の問題点/http://www.cyzowoman.com/2016/11/post_120821.html )に関して、一当事者としての意見を伺いました。
「◎Family? CASE2 セックスをしなくても生殖はできる。レズビアンカップルに精子提供を試みるジュンペイさん」~番外編~(取材日:2016年12月~2017年1月)
▼前編/「“異性”を好きになって当然だ、お前はどの“異性”が好きなのだ」と当然のように問う社会のおかしさ
▼中編/「性愛の結果」ではない生殖は、強制異性愛社会からの解放だ
▼後編/男の生殖―男が女をセックスに誘って、女が妊娠出産を決断してくれないと、生殖が叶わない
精子提供していたカップルの元に子どもが誕生
――さて、この度は後日談ということで、お話を聞いていこうと思います。よろしくお願いします。まず、「FAMILY?」インタビュー時の2013年にジュンペイさんが精子提供をしていたカップルのもとに、2014年、無事赤ちゃんが生まれたんですよね。おめでとうございます。
ジュンペイ(以下、J) ありがとう。と言っても、その子と一緒に暮らして自分が親をやるわけではないので、それほど深い感慨があるわけでもないんだけどね。
――生まれてきた子どもには、たまには会ってる?
J そうやね、お花見とか、ピクニックとか、そういうイベントで会ったりしてるよ。向こう(親であるレズビアンカップルの二人)が積極的に誘ってくれるので、ありがたく参加してます。
――そういえば、私も去年、ジュンペイさんと一緒に一回、そのお家に遊びに行かせてもらったね。なんていうか、家族ぐるみの友達って感じの関わり方に見えた。子どもからしたら、友達のおじさんってとこかな。ちなみに、将来的には、「ジュンペイさんが“父親”のような役割の一端を担ったこと」っていうか、「ジュンペイさんが精子を提供したこと」は子どもには伝えるの? ○○さんたち(親であるレズビアンカップルの二人)は何て言ってる?
J やはりそれは僕が決めるというより、育ててる二人が決めることかなと思ってる。彼女たちは、隠すのではなくて、いつかどこかのタイミングで話をすると言ってて、僕もそれがいいなと思ってる。その時の僕の立場とかは「ジュンペイ」って友達でも、「パパ」でも、子ども本人が納得できる位置づけ?になればいいなと思ってる。
――なるほどね。その姿勢にはすごく共感します。「話すor話さない議論」を見聞きしていて、私がいつも思うのは、やっぱり辻褄が合わなくなるのは嫌というか、隠すような態度をとってしまうと、まるで自分の誕生が後ろめたいことのように、子どもに伝わってしまうんじゃないかということです。それに、個々の事情によってももちろん伝え方は変わってくるだろうけど、単純に大人の一方的な意思で事実を隠すのは、子どもに対して失礼ですよね。子どもが知りたいと申し出る以上、知る権利はあると思う。私も子どもに「父親って誰?」と聞かれたときに、生物学上の父親の人を紹介できるように、連絡だけ途絶えないように心掛けてる。知ってからどう思うかとか、何をするかとかは、子どもが自由にできるはずだから、委ねたいな。私はなるべく個人的な感情とかを抜きにして、子の人生の一登場人物として父親を紹介する仲介ができたら、と思ってる。その辺、ジュンペイさんはどう? 精子提供者として子との関わり方や関係性の未来について思うことはある?
J 僕の中では今のところノープランですね。ただ、子どもが将来、色々と聞きたい、話したいと思ったときには、話を聞くし、話をするつもり。その子に精子提供をした理由を聞かれたら、第一に、「親しい知り合いから頼まれたのが大きいこと」を伝える。第二に、「人が新しく生まれてくるのに悪いことがあるわけないと思ったから」ということ。両手を挙げて賛成! そして子どもが話を理解できるくらい大きくなっていたら、第三に、「人が家族を成すときに、“パパ-ママ-子ども”というステレオタイプな家族以外の、多様な家族の成し方があると知っていたから」って話すと思う。つまり体の性別(Sex)と、社会的な性別(Gender)と、性的な指向性(Sexuality)の組み合わせは多様で、家族を構成するメンバーにも当然その自由があるということ。
――なるほど。三番目の話は、もしかするとその子が育っていく過程で、あまりに自然に、当たり前に、知ってくれることかもしれないですよね。少し複雑な話を理解できるくらいの歳になった頃にはすでに、「自分は“ステレオタイプな家族”じゃないっぽいメンバーの中で、こんなに大きくなった」という事実があるから。ただ、ステレオタイプか、そうじゃないかということが、「別にどっちでもいい」とフラットに認識してもらえることが重要だと思う。私もこういう活動をしていると、「シングルマザーであること」や「マイノリティであること」に固執していると思われがちなんですが、「早く当たり前になれー!」と思っているだけなんで(笑)。活動する必要がない世の中だったら、こんな活動成立しないはずだからね。
J そうやね、多くの人が「別にどっちでもいい」と思えるような状態になればいいね。ステレオタイプな家族という言い方をしたけど、どんなタイプの家族の中でも誰かがつらいと思うことは起きうると思うので、そういうことが起こったときに、家族の顔ぶれに恵まれてるかどうかが大きいと思う。その「恵まれる」の基準ももちろん、ステレオタイプか、そうじゃないかという意味ではなくて、人としての思いやりとか経験値とか寛容さとか、そういうものがね、沢山ある家族だといいよね。家族どころか個人だって、基本的に一つ一つ違うので、「典型的でないこと」を「異常」扱いする風潮は、やめにしたいね。
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