子どもは成長しかしない
――実際にセックスをしなくても生殖ができたわけだけど、それについては、ジュンペイさん自身が期待していた「解放」みたいな感覚は得られましたか?
J 「解放感」は、例の本(小泉義之『生殖の哲学』pp.73-74)を読んだときにはあったけど、子どもが生まれた時には特になかった。やはり孕んでいない立場で、尚且つ育てる部分も担っていないから、ピンときてないのかもしれないね。この先何らかの「解放感」があるとしたら、それは、社会が多様な性の在り方、多様な生殖の在り方、多様な家族の在り方を受け入れるようになった時だと思う。
――ちなみに、出産前後は「生まれそうだよー」とか「陣痛始まったよー」とかそういう連絡がきて、次に生まれたことの知らせがきたって感じだったの?
J あまり事細かではなかったけど、そうだね。「生まれそう」ってのがきて、次の連絡が「生まれました」だった。立ち合いとかももちろんしていないし、出産というイベントでも、実感は薄かったかもしれないね。
――では、もしかしたら意欲を取り戻せるかもとおっしゃっていた、仕事や性愛について、最近の意欲のほどはいかがでしょう? って聞き方もなんだか図々しいけど(笑)。
J 仕事や恋愛に対するモチベーションは、相変わらず低空飛行ですね。鬱状態ということなんだろうけど。やはり、子どもが生まれたことについて、いまいちピンときていないからかな。でも、子どもを育てることにはやはり興味があるね。自分で育てていける子ども、近くで成長に寄り添える子どもがいたら、考え方が変わったり、新しい価値観を手に入れたり、できるんじゃないかと思うから。実際にそういう人たちを見てきたしね。特に、孕まない性である男性の知り合いに、そういう人が多いように思う。逆に質問で、ヒラマツさんは実際に産んで育て始めて、そういうことは感じる?
――私は、子どもを育てて、というより、「子ども」って人と一緒に暮らしている中で、すごく影響を受けているなぁという感覚がある。友達でも家族でも先生でもビジネスパートナーでも、なんか一緒にいる他人から影響を受けることってあるじゃないですか? そんな感じ。
J たとえばどんな影響を受けたの?
――もともと私って家から一歩でも外に出ると、基本いつも「急いでいる」んですよ。喋るのも早いし、買い物から引っ越しまで何でも物事を決めるのが早いし、電車の乗り換えで一番早いルートになる号車を選ぶのに燃える、みたいな(笑)。これは実は小さいとき「早生まれだから、何をやっても人一倍遅い」と親や先生から言われまくったコンプレックスに由来した癖みたいなものなんだけど、とにかく家の外にいるときは、無駄な時間を削ることにいつも脳みそをフル回転して挑んでる。そんな性格だから、今日一日をこなすにも、人生を設計する上でも、「急ぐ」ことが一番近道だと思ってたの。子どもの生活を目の当たりにするまではね。というのも、子どもって、出かけるにもご飯を食べるにも、「目的」に対して一直線に向かうことが、ほぼない、ゼロ。寄り道ばっかり、回り道ばっかり、全く時間通りに動けない(笑)。なのに、驚くべきことに、前進しかしてないんだよね。毎日毎日成長してる。成長以外にやることないのかって突っ込みたくなるほど、成長しかしてない。私がこれまで必死にやってきた「急ぎ」を、こんなにのんびり超えていくやつがいるなんて……もはや悔しい! それで、最近「急がない近道」っていう新たな価値観が芽生えてきて、私はすごく開放された。これが、子どもと一緒に生活していて本当によかったと思えることの一つかな。
J なるほど。子育ては大変だろうけど、そういう話を聞くとやはり羨ましいね。
――ジュンペイさんは子育てするとしたら、自分の精子が着床して産まれた子どもじゃなくてもいいの? というのも、実は逆に私は「育てるだけ」の関わり方とか、「産むだけ」の関わり方に、最近とても興味があるの。なんていうか、昔から「腹を痛めた可愛い子」みたいな言説ってあるじゃないですか。それが、無痛分娩や代理母への反対意見にも直結しているし、あとは根強い血縁神話のスローガンみたいになってるのもちょっと気持ち悪いなぁと思っていて。「自分で産んだ子だから可愛い」と母親が言うのは、なんだかエゴイスティックな感じがする……もしくはナルシシズム? もちろん産んだ子を可愛がるのは当然というか、歓迎すべきことだけど、「痛かったから」なのかどうかは、ちょっと冷静に考えるべきところだと疑問視していて。子どもの立場から考えても、分娩した経験から考えても、私は全くそういう感覚が理解できない。だったら孕んだり分娩したりしてない男親と子の関係はどうなるの? と思ってしまう。だからと言って、「産める」私に今何ができるのかは考え中なんだけど、ジュンペイさんはその点どう?
J 自分の精子で生まれた子でなくてもいいね。自分の精子を元にしてどんな子が生まれ育つのか興味はあるけど、それは精子提供で実現したわけだし。他の人の精子を元に生まれてきた子どもも可愛いと思うよ。それから、「妊娠や出産のときの肉体的な苦痛があるほど、生まれてくる子どもとの関わりが深く感じられる」という感覚が生じるのは僕はわかるよ。その感覚は侮れないと思うし、とても貴重な経験だと思う。妊娠した後で、誰かにその妊娠を代わってもらうことはできないのだから、それは「かけがえのない経験」になる。でも、出産後の子育てにおいても、妊娠・出産とは種類は違うにしろ何らかの「かけがえのない経験」をする機会はあるわけで、そこを重く見ればいいのでは。男親や「育ての親」も、子育てで苦労させられる経験を通じて子どもとの関わり(絆)を深く感じることはあるでしょ? 僕も、子どもを育てられる機会があれば、ぜひ育てたいですね。
――なるほど、他の何にも代えられない経験としての価値ね。そういう風に言われると、少しは理解できるような気もする。ちなみに、子どもを育てられるかもしれないチャンスが目前に迫ったとき、例えば、産んでくれそうな女性が現れたとき、相手の人が結婚を求めていたら、結婚も視野に入れる?
J そうだなぁ、そうなったら、一応婚姻制度に疑問があることとかは話すと思うけど、話し合いによっては、することもあり得るかもしれない。まぁ、実際の入籍はさて置いても、相手と一緒に暮らして子供を育てることとか、相手の親と丁寧に付き合っていくこととかには当然前向きに取り組むと思う。
――どういった形でも、ジュンペイさんが子どもを育てる未来には個人的に興味があるし、あとはこんなに子どもの話ができるパパ友(?)いないから、それも楽しみだなぁ(笑)。
▼前編/「“異性”を好きになって当然だ、お前はどの“異性”が好きなのだ」と当然のように問う社会のおかしさ
▼中編/「性愛の結果」ではない生殖は、強制異性愛社会からの解放だ
▼後編/男の生殖―男が女をセックスに誘って、女が妊娠出産を決断してくれないと、生殖が叶わない
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