鬼才の手による名作への出演で、“アイドル女優の箔付け”としてなら、厳しい選択ではないか。「キャバレー」には、作品自体の愛好家が多数存在します。ミュージカルの専業演出家ではない松尾が手がけるからといってミュージカルファンが「ミュージカル」としての完成度を大目にみてくれることはなく、また、松尾作目当ての演劇ファンからも過度にシビアな目でみられるのは明らかです。
個人的には、きっと及第点はあげられないだろうけど挑戦する意欲だけは買おうという、少し意地悪な気持ちで観にいきました。が、そんな想像を、長澤は見事に打ち返してくれました。
恵まれた肢体は過激な衣装を存分に着こなしていて、踊る場面では大きく揺れる胸元が目立ったのは確かですが、その体形が何より生かされていたのはダンスそのものでした。
映画版でライザ・ミネリも着ていた黒いボンデージ姿で、楽曲「マイン・ヘル」を歌いながらのイスを使ったダンスは振り付け自体が十分セクシーとはいえ思い切っていて、大きな開脚からはエロチックさとともに身体能力の高さが感じられました。冒頭のショーナンバー「ヴィルコメン」でも、技巧を凝らした振り付けではないからこそダンスの素養があるかないかの粗が出てしまうものなのに、体の使い方がとても上手で、特に下半身の動きを意識していることがうかがえました。
意外な歌声、意外な演技力
では、ミュージカルにとっていちばん大切な歌はどうか。昨年の大河ドラマ「真田丸」でも指摘された舌足らずな話し方からは想像もつかないほど太くて、なによりもとてもよく伸びることに驚きました。低い声なのに、歌い終えたあとに口角があがる笑顔のチャーミングさ。
そのギャップが、欲望うずまくキャバレーで毎夜笑顔を振りまく可憐で奔放なサリーの華やかさと、それと裏腹の孤独そのものを体言しているように感じられたのは新しい発見でした。クリフ(小池徹平)とのすれ違いや身ごもった子どもの堕胎、ナチスを嫌悪し帰国するクリフと歌姫としての生き方を捨てられずに別れる哀しみと毅然とした姿を、口角の上がった笑顔のままで演じ分けることができるのは、映像の世界でもまれてきたからなのかもしれません。
名作の主演でも技術的な見劣りがなく、くわえて映像で磨いてきた武器を遺憾なく発揮しているさまは、「キャバレー」こそが長澤まさみの魅力をいちばん発揮できる作品だったからなのだと納得させるもの。思い返せば、所属事務所の東宝芸能は大手芸能事務所であると同時にミュージカルの制作を手掛け、舞台出演がメインの俳優も多く所属しています。
カーテンコールで、大きく胸元の切れ込んだドレス姿から谷間を覗かせながら客席に向かって深く頭を下げる姿に大きな拍手を送りながら、新しいミュージカルスターの鮮烈な誕生に、今後の出演作にも大きな期待を感じました。
▼ミュージカル「キャバレー」特設ページ
http://www.parco-play.com/web/play/cabaret2017/
(フィナンシェ西沢)
1 2