家族じゃなくていい
誰にも告げず、早朝に家を出たすずめは、チェロを持って軽井沢から遠く千葉の病院まで行ったのでした。病院の前まで来ても中には入らず、ストリートでチェロ演奏をはじめるなど、父の死に目にあう覚悟が決まりません。なけなしの小銭で花束を作り、境子の言っていた「ロッカー」に花を供え、手を振るなどしています。手を合わせるのではなく手を振っているのがすずめらしいと思いました。病院には、まだ、行きません。
千葉の病院に駆け付けたのは、別荘で留守番をしていて「すずめの父、危篤」の電話を受けた真紀でした。カルテットのワゴン車で、軽井沢から千葉へ急行し、すずめ父の病室にたどり着いた真紀は、図らずもすずめ父の死の場面に立ち会ってしまうことに。すずめに会えないまま、父は息を引き取りました。どれほど親交があったか知りませんが、涙ぐむ少年が、真紀にすずめの過去を明かします。少年はすずめのかつての同僚が綴ったとみられるブログも発見しており、そちらは「偽・超能力少女」となったすずめの生きづらさが窺えるものでした。4年ほど前、小さな不動産会社に勤務していたすずめは、愛想はいいが同僚と必要以上に関わろうとはしない地味な女性社員でした。しかしある時、ひとりの同僚がすずめの名前を検索、「偽超能力少女」だった過去が社内に知れ渡ってしまいます。そういった経験は初めてじゃないのか、今まで通りに振る舞うすずめでしたが、同僚からのいじめが続き、退職。そんなふうにして、居場所を失う経験を繰り返してきたのでしょう。想像以上に重くて暗い、逃れられない過去をすずめは背負っていました。「すずめ」という珍しい名前も彼女にとっては迷惑だったことでしょう。元同僚のブログではつばめちゃん(仮名)となっていましたが、超能力詐欺事件のこと書いたらバレるでしょ。
こうした話を聞き終え神妙な面持ちで病院から出てきた真紀は、ようやく病院前まで来たずずめとばったり。すずめは、真紀にすべてを知られてしまったのだと悟ります。とりあえず蕎麦屋に入り、動揺を隠したくてはしゃぐ素振りを見せるすずめに、父の死を告げる真紀。すずめは、父親の記憶を滔々と語り始めました。
「昔、父がすごくお世話になってた人がいたんですけど、お金貸してもらったり、たっくさん。ごはんもしょっちゅうご馳走になってた人で。その人があるとき、大怪我で入院したんですよ。なのに、父はお見舞い行かないでうちでテレビ見てたんです。なんで行かないの? ってきいたら、病院で風邪とかうつされたくないからって。ひどくないですか? あと、建築の仕事してたんですけど、30階建てで25階までつくったところで、父がなんか基礎の大事なところ手抜きしてたことがバレちゃって、全部やり直しになったんですよ。それでつぶれた会社とかもあって。でもその日父は、ラーメン屋さんで、スープがぬるいって言って作り直させたんです。ひっどくないですか? あと、母が――」
真紀は、じっと黙って聞いていました。その父親はひどいし、信頼できなくて普通だし、会いたくないのも自然ですよ。
「病院……怒られるかな……。ダメかな家族だから行かなきゃダメかな 行かなきゃ」「父親が死んだのに行かないって……」と、本音と常識(=世間)に挟まれて揺れるすずめに、真紀は「行かなくていいよ」「いいよいいよ」と微笑みました。すずめの手をとり「すずめちゃん、軽井沢帰ろう。病院行かなくていいよ。カツ丼食べたら軽井沢帰ろう。いいよいいよ、みんなのところ帰ろう」。受け入れ難いもの(過去、家族)からは逃げればよい、目を背けておいてもよい。安心できる居場所にいていい。こうやって真紀が「帰ろう」と言ってくれたことで、すずめがどれだけ救われたか。
浮世離れしているような言動が多いすずめの「家族だから」発言は、片想い相手の司が、父親の祝い事のために実家に帰らないと、と話していたことに影響された面もあったのでしょう。だけど司にとっての家族と、すずめにとっての家族は違います。きっと、誰もが違うんです。
真紀とすずめの蕎麦屋の会話は、もう少し続きます。会話劇の名手、坂元裕二さんはまだ攻めます。
すずめ「(過去を)知られたらカルテット辞めなきゃいけないのかなーと思って。こういう人だとバレたら嫌われちゃうかなあって思って、怖くて。怖かった。みんなと離れたくなかったから」
真紀「(首を横に振り)私たち同じシャンプー使っているじゃないですか。家族じゃないけど、あそこはすずめちゃんの居場所だと思うんです。髪の毛から同じ匂いして、同じお皿使って同じコップ使って、パンツだって何だってシャツだってまとめて一緒に洗濯機に放り込んでいるじゃないですか。そういうのでもいいじゃないですか」
すずめの「怖かった」「離れたくなかった」は30代にしては幼い発言ですが、これまでの人生において“誰かと仲間になって居場所を得る”経験が少なかった、あるいはまったくなかったのかもしれません。真紀の「そういうのでもいいじゃないですか」という言い回しに、好感を持ちました。「家族じゃないけど、家族なんだ」とかじゃなくて、よかった……。後者だったら、結局「家族は大切だ」に帰結してしまうから。