
スウェーデンの女性作家、エリカ・ラストの作品に出会いました。
「ポルノ」という語を聞いて、みなさんはどのようなイメージがわきますか? 現代におけるポルノの代表格といえばAVで、これを女性が観るのはいまどきめずらしくありませんが、それでも受け取り方はかなりグラデーションになるでしょう。純粋にエロティックな体験として愉しむ人もいれば、一定の嫌悪感を持ちながらも刺激的な映像に興奮してしまう人もいて、「絶対ダメ、観たくない!」という人もいて。
日本の性表現、なかでも映像作品における表現には女性への差別的視線や暴力的なもの(というより、暴力そのもの)があまりに多いため、「ポルノ」という語自体に否定的な意味をもたせようという提案もあるようです。女性へのネガティブな表現があるもの=「ポルノ」であり、そうした要素を含まず女性も安心して観られるもの=「エロス」として両者を区別しよう……というものです。が、ポルノという語そのものにエロチシズムや情緒を感じる私としては、首を縦に振りにくいものがあります。日活ロマンポルノとか、いい響きじゃないですか(個々の作品がいいという意味ではなく)。
しかも、「玩具を使う=ポルノ」とする項目もあって、バイブコレクターとしては、いやいやいや、と反論したくなります。玩具そのもの、もしくは玩具を使う行為そのものが暴力なのではなく、その使い方によって「暴力になりうる」のです。加害者性は、それを使う人にあります。近年は女性目線で作られ、選ばれる玩具も増えていますが、それだって乱暴に使われれば凶器になります。
そもそもポルノって何? 辞書によると「性行為の描写を売り物にした読み物・絵画・写真・映画など」だそうです。それによって性的興奮がうながされるかどうかは問われないようですが、私は「興奮あってこそのポルノ」だと強く思っていました。ゆえに、昨年末から「日活ロマンポルノ リブート プロジェクト」と題して順次公開された5作品には、ほとんど興奮を誘われなかったため、「ポルノとしてどうなの?」というのが私の正直な感想でした。
性表現における負の要素をすべて「ポルノ」というワードに押し付けることには、納得しかねるものがあります。人は「正しい」性表現で興奮するとはかぎりません。以前のコラムでも書きましたが、暴力的なシーンでも思いのほかムラムラすることがあったりするものです。AVのコンテクストに浸かりきっているがゆえの現象であることは否めませんが、それが間違っているとか誰かから糾弾されても仕方がないとか、そんなふうには思えないのです。表現に善し悪しはあっても、その表現に対して感じることに善し悪しはない、というか。
フェミニストが撮るポルノ
でも、そうやって自分に言い聞かせたところで、ザラッとしたものが残るんですよね~。自分がムラムラしたものを「いい!」といえない、この後ろめたさ。興奮するものには願望が投影されますから、嗜好そのもの、引いては自分そのものに引け目を感じてしまいます。
そんななか、すてきなポルノとの出会いがありました。観ているときに一切の屈託を感じず、心から「ああ、いい!」と思えるものです。
それは、フェミニストの映像作家、エリカ・ラストの作品群です。スウェーデンで生まれ、現在はスペインを拠点に活動しています。彼女は学生時代に観たポルノに衝撃を受け、嫌悪し、でも性的な興奮を覚える(共感!)という体験を経て、「ポルノは変わらないといけない」「ポルノの世界には女性が必要!」と確信して数々の作品を撮り下ろしていきます。ポルノという語を悪者にせず、ポルノそのもに新風を入れようという姿勢に私は好感を覚えました(海外には“ポルノとエロスは区別しよう”という考えがないのかもしれませんが)。
実際に視聴すると映像の色合いがとてもきれいで洗練されていて、いちいちおしゃれなんです。え、そんなものポルノに求めてないって? 第一、フェミニストが撮ったポルノってツマンナイんじゃないの、って? 「男女がタイトウで女性のジンケンが守られていて……つまり教科書的なんでしょ、どうせ」と。それには全力で、そして喜々として反論させてください。フェミニスト=エロがきらいな女性じゃないし、それに彼女の作品むっちゃエロいから!!!
基本的にはすべて、10分程度のショートムービーです。登場人物同誌の関係をストーリーで説明するのではなく、シチュエーションや演技、ディテールで表現し、匂わせます。そのぶん、大半の時間はセックスシーンに費やされます。
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