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サンフランシスコ発! 性の活動家女性が教えてくれる「セックスポジティブ」

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 しかもセックスポジティブという考えが生まれた背景を知ると、その“正しさ”にますます力を感じます。サンフランシスコは早くから市民運動が盛んで、新しい文化を生み、夢を追い求める人たちが集まってくる街だそう。製薬会社の拠点があったため1960年代にはピルが販売され、女性がバースコントロールをはじめ、社会に出て自分のキャリアを築けるようになった……ってある意味、いまの日本よりずっと先進的ですよね。そのうえMIDORIさんがいうには「とにかくみんなセックスしていた! 性別なんて関係なくあっちでもこっちでも誰も彼もがセックスを愉しんでいたの!」という光景が繰り広げられていたそう。

 しかし1980年代になるとそれが一変します。AIDSが蔓延し、セックスは家族との断絶、医療からの拒絶、引いては“死”に直結するものとなります。サンフランシスコの空が重い空気で覆われるなか、19歳という“セックスしたい盛り”を迎えていたMIDORIさんは、

MIDORI「私、若かったから『ふつうにセックスする!』って決めたの。バカよね(笑)。それで、裸でポエトリーリーディングをしたりセックスクラブに行ったりしたの。ネットが登場する前の時代だから、当時はアンダーグラウンドの雑誌や新聞を読んで調べたのよ。でもラッキーだったのは、私を最初にナンパしてきたのがセックスポジティブムーブメントのリーダーたちだったこと。彼らが『セックスは人権である』『私たちにはセックスする権利がある!』と主張しているのを聞いて、焼け野原になった地面の下から希望の芽がポッと出てくるのを感じたわ。セックスして死ぬのではなく、セックスポジティブの文化を作ることで希望を見つけよう、と決めたの。死、差別、社会からの抑圧……全部にクソクラエ!! っていってやりたかった!(笑)」

自分に正直になれば、イケる!

 でもその段階では、性に対する知識がなかったMIDORIさん。なにしろ彼女がローティーンのころに日本で受けた性教育は、映画を1本(なぜか手塚治虫氏制作の!)を鑑賞しただけ。何も知らないに等しかったところから、「知識がなければ自分の性について決定権が持てない」という信念のもと、知識や情報を自分のなかに蓄積していったといいいます。

 AIDSという、当時は死の病だった病気によってもたらされた暗黒と、いま私たちが感じている息苦しさを安易に同一視することはできません。しかし、正しい知識を身につけることで力をつけ、それを体現していく以外に屈託をはねのける方法はないという点は共通しているのではないでしょうか。

MIDORI「セックスポジティブの基本姿勢は、自分に正直であること。人からの期待や抑圧を全部捨て去るのは大変なことで、毎日が戦いです。でも、それをしないと『きょうは、したくない』『もう1cm左に移動して』といった自分の希望を伝えられません。一朝一夕でできるものではなく練習が必要ですが、その先に待っている成果のひとつがオーガズム。自分がしてほしいことを相手にきちんと伝えられなければ、オーガズムは得られません。あとはお肌ね(笑)。セックスポジティブはフェイスパックより、美肌効果あるのよ!」

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桃子

オトナのオモチャ約200種を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。

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