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勃起したら穴で射精しなければならない、なんて誰が決めたの? 挿入を伴わないセックスの可能性=例えば勃起観賞

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Queerライター・コウの「変態読本」

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私は、挿入という行為が嫌いです。自分の身体のどの穴にも、チンコを入れられることを私は好みません。マンコ、アナル、お口……他の穴は試したことありませんが、鼻や耳もおそらくイヤだと思います。

しかしながら、男性相手のセックスアピールや性的な接触が一切苦手というわけでもありません。エロ可愛い下着とか着たいし、フェティッシュバーのように安全を確保された場所でキワドイ格好をするのも幸せです。そして、好きな人とはイチャイチャしたい。

しかし、初回でも自己紹介したように、私は変態文化や変態の話題が大の好物。お陰でエロい(セックスすることが大好きな)のではないかとすぐに勘違いをされるわけですが、正直その勘違いは迷惑極まりありません。「挿入を伴うセックス」が当たり前とされる世の中では、「セックス好き」は「挿入好き」と同義だからです。

私が挿入を嫌うワケ

「挿入を伴うセックス」を気持ちいいと感じたり、なんの違和感もなく受け入れたりする方が男女問わず大勢いることは、物心ならぬセックス心がついたころ(セックスに関する最も古い記憶がある頃)から気付いておりました。ただ、あらゆるリスクを払ってまで挿入を伴うセックスに積極的に挑む理由が今のところ私には見出せていません。不感症ではないですし、ムラっとすることも無くはないのですが、挿入でイッたこともなければ、ムラッとしたからorイチャイチャしたから、イカないと気が済まないなんてこともありません。愛する人と物理的に接続されている感覚が幸せという心理は、全く分からないとは言いませんが、あなたたちは電源プラグかレゴか何かですか……? とツッコミたくなります。

よって、冒頭では「私は挿入行為が嫌い」と述べましたが、正確には、「挿入行為にメリットが見出せない」ので、「なるべくやりたくない」にも関わらず、説明や説得をしない限り「避けられない」から「嫌い」なのです。

勃起→挿入→射精は「本能」という説

チンコの欲求の一連の流れを「本能」という一言で片付ける方がしばしばいらっしゃいます。しかし、考えてみてください、本能って「個」の意志とは別物ですし、避妊して及ぶセックスで本能も何も……って感じじゃないですか?

ちなみに、「本能」って変態をも排除する考え方だと思うので、個人的に全く相容れない……というか、本当に嫌いな言い訳です。子孫繁栄にも、生命維持活動にも、全く必要じゃない変態行為や変態文化は、「本能」を振りかざした途端、排除されてしまいます。

挿入&射精をゴールとしないアイデア

こうして挿入嫌いの私が、我慢して挿入と射精に付き合うことなく、挿入スレスレまでのセックスを純粋に楽しむには、最終的に入れる“穴”がなければ良いのではないかと1年ほど前に思いついたのですが、マンコを塞ぐというのは今のところかなり現実味がありません(真っ先に思いついたのがこの方法でしたが、性同一性障害の診断もなしに、今の日本で実費で手術するというのは相当困難です)。なので、いますぐにできる私なりのセックスの楽しみ方として「セックス=勃起した男性を観賞すること」というのを思いつきました。

短期間ではありますが、実践&過去の記憶も改ざん(過去にセックスをした相手を観賞目線で思い出すなど)してみた結果、「悪くないぞ」と実感を得た私にとっては、「勃起観賞」がもはや性癖のひとつと言えるのかもしれません。

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コウ

昼間は事務員/ライター、夜はフェティッシュバー店員。ストリップ・バーレスク・ドラァグクイーン・フェティッシュファッション・春画など、性にまつわるキャンプなカルチャー「変態文化」をこよなく愛す。

twitter:@KOU_queer