
『人は見た目が100パーセント』公式サイトより
『人は見た目が100パーセント』(フジテレビ系)第五話、桐谷美怜ちゃんは白目がきれいで可愛いそして細かった、しかしそれ以外のホメどころが見つかりません。FODで視聴すると「本当は天井が低くて狭い場所が大好きな竹野内豊のダイワハウスCM」が頭にこびりつきます。
【第一話】「呪い」を強化し、女性をバカにしているようにしか見えなかった
【第二話】このクソ「セクハラ」ドラマを垂れ流していいんでしょうか?
【第三話】“女性視聴者に必要なモノ”を狙った結果、完全にスベッている
【第四話】狭すぎる女子定義、知ってる情報しか流れてこない
ルミネや資生堂インテグレートのCMと何が違うの?
八王子の製糸研究所に勤めていた3人の研究職女性・城之内純(桐谷美玲)、前田満子(水川あさみ)、佐藤聖良(ブルゾンちえみ)は、保湿効果が高く新たなファンデーション開発の要となる貴重な繊維素材「セルロースナノファイバー」の開発が認められ、丸の内にある大手化粧品メーカー「クレエラジャパン」に研究室ごと異動しました。
彼女たちはオシャレや流行に無頓着ですが、「化粧品会社なので研究員も高い美意識を持つべし」という同社の“過酷な掟”に従わざるを得ず、仕事さえ振ってもらえず超暇なので、美容やオシャレの研究を始めて……そうこうしているうちに純は、会社と同じ敷地内にある人気美容室ルーチェのトップスタイリスト・榊(成田凌)に恋。少しでも彼に近付くべくオシャレやモテテクを研究していくのがストーリーの根幹です。
気負わず軽いドラマかと思わせておきながら、正しい女の在り方を決めてかかるキツさ、正論が通じないセクハラ&パワハラのオンパレードに従順な主人公たち、あまりに露骨な女の格付け表現とその肯定……ときまして、まったく軽い気持ちで見ることが出来ません……。
それでいて本筋だけ見るとこんな感じ。
第一話:主人公たちが丸の内への通勤に恐れおののき右往左往。ビューティー研究を開始。
第二話:キレイにならなきゃ仕事をさせない、と言い渡される。クラッチバッグ研究。
第三話:主人公・純が美容師の榊(成田凌)への恋心を自覚。モテ服研究。
第四話:純が榊にメールを送って返信を待つ。シャンプー研究。
以上です。では第五話はどうかというと、「純から榊への片思い続行中。/今週の教え:ビニール傘ではなく高い傘を使わないと恥ずかしい。ヘアアイロンを使う・編み込みをするなどヘアアレンジをマスターしろ、根気強く練習するなど努力しろ」という内容でした。
五話では、キラキラ女子たちを僻み自分を蔑む主人公たちに、キラキラ女子も生まれつき可愛くてチヤホヤされ続けてきたからポジティブなわけではなく、努力によってその姿を獲得したのだと説教するシーンがありまして、素直にその言葉を受けて反省した“女子モドキ”たちは早朝4時に起床して編み込みの練習をするなど“努力”を始め、ちょっと良い結果を得ます。
好きな人に近付きたくてビューティー研究することを否定はしません。楽しい時間ですよね。ヘアアレンジするのも、素敵な傘をさすのも、化粧がうまいのもオフショルダー着るのもいいですよね、私自身もごく普通に化粧するしヘアアイロン使うしビニール傘じゃない傘を使ってます(オフショルダーは着ない)。が、主人公たち地味女子は総務課のキラキラ女子と対峙するとやたら卑屈な感情をダダ漏れにし、その理由をブスでモテないからとし、外見を可愛くして自信を得ようね(なぜなら女子だから)ってリードすることには、やはり脅しめいたニュアンスを感じるのです。イマドキそんな女子啓蒙が正論として垂れ流されてていいんですかね。彼女たちを卑屈にさせているのは誰ですか? こんなことを問題視するのはおかしいでしょうか?
これは消費を促すためのPRドラマでもあると思います。地味でダサいと評され、その他者評価を内面化した女性たちがキレイになるべく動く過程は、ビューティー商品や洋服などのモノを買う、金を払って美容サービスを受けるなどの消費に直結しています。1時間ほぼまるまる、良い消費者を育てるための広告に費やされていることも、疑問なのです。ルミネのCMや資生堂インテグレートのCMが問題アリとされて、こちらが許容範囲となる理由はないんじゃないでしょうか。不快な思いをしているとか配慮をしろと言っているのではなく、「この女性観は問題ではありませんか?」と問うています。
(ドラマ班:下戸)
【第一話】「呪い」を強化し、女性をバカにしているようにしか見えなかった
【第二話】このクソ「セクハラ」ドラマを垂れ流していいんでしょうか?
【第三話】“女性視聴者に必要なモノ”を狙った結果、完全にスベッている
【第四話】狭すぎる女子定義、知ってる情報しか流れてこない
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