技術の基本を習得した後に後にその人なりの個性を出せるようになってはじめて「名人」といわれます。個性とは、ベタな表現をすれば“心”でもあるでしょう。緊縛もそれと同じでテクニックの向上だけが目的となってはならず、それによっていかに心を表現するか、その心をどう相手と通い合わせるか……。
そのアプローチとして荊子さんは「Sは女性の想像の上を行くような努力が必要」「女の子たちに、新たな喜びを教えてあげるのがS男性の使命」とつづりますが、これってなかなか高度な要求では?
荊子「たしかに難易度が高そうに聞こえますね(笑)。でも要は、サプライズなんですよ。緊縛って刺激的なプレイだと思われがちですが、それでもいつも同じパターンだと、お互い飽きちゃう。だからといって強烈なプレイでマンネリを打破しろというのではなく、たとえば女性を縛って目隠しして、いつもより長い時間、胸だけを愛撫してみるとか。女性は『え、どうして?』と意外に感じますよね。自分と相手を同時に見ながらプレイを進められる人は、Sの素質があると思います。でもMがただ受け身で待っているだけだと、Sもやりにくい……エスパーではありませんからね。女性から何をしてほしくて何がいやなのかを伝えておく必要があります」
肉体と精神の充足を
荊子さんの作る縄目の美しさは、女性を特別な存在に見せます。モデルさんはきっと、肌にうっすら残る縄の痕もうれしいはず。これだけ女性の心を拾いながら縛ってくれるって、やはり荊子さんが同じ女性だから? いや、“女性なら、女性がわかる”というのも思い込みなのかも。
荊子「長年女性を縛ってきての発見もあれば、周りの女性からの意見、私だったらこうしてほしいという願望もあります。それらを総合すると、M女性が何を求めているかが見えてきました。ハードなプレイで肉体的に追い詰めるのが好きという人もいるにはいますが、それよりも“肉体的には心地よくて、かつ精神的なやり取りもできる”そんな縛りのほうが私は好きですね」
縛りはふたりの共同作業。Sだから相手を好きにしていい、Mだからぜんぶお任せ、はSMとはほど遠い。ふつうのセックスでもコミュニケーション不足は致命的ですが、SMでは身体の危険につながることもあるので重要度が違います。やはり「この人とコミュニケーションをとりたい!」と思う人としかできないプレイですよね。
となると私のかつての経験(緊縛ではなうけど)はまったく歩み寄りがないまま、「俺を罵れ、ケツをぶて」といわれたわけです。そこにSM的な関係が成立しようはずもありません。でも、初めて会ったとしてコミュニケーションが成立する取れる相手からのリクエストだったなら、事情は変わっていたかも。違う扉が開き、“わりとS”になっていた可能性もあるのかな。
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