日テレ水10枠『母になる』。ネットニュースやSNSを見る限り感動して涙腺崩壊!な視聴者もいるようですが、初回からずっと視聴し続けてきた私の率直な感想は……面白いけど感動や共感や説得力はそれほど、です。回を重ねれば重ねるほど“母親絶対”な描写および台詞が増え、興ざめするんですよね。
【試写レポート】テレビドラマにおける母親という存在の描かれ方
【第一話】沢尻エリカ演じるベタベタ清純派の良妻賢母が宿した小さなリアリティ
【第二話】3歳まで育てた産みの母は「何も知らないおばさん」…育ての母の強烈な手紙
【第三話】育ての母の態度急変!親たちに振り回される不憫な息子
【第四話】一人で苦悩する母親、父である男と一緒に親になることはできないの?
【第五話】最低な母親でもかけがえのない大切な人と思うべき? 聖母か鬼女か、極端な母親描写
【第六話】「あなた母親じゃないわ」「母親って何ですか?」他人の子をこっそり育ててきた女の事情がついに明かされる
【第七話】産んだ女と産めなかった女の罵り合いに正解はない
【第八話】「母親を嫌いな子供なんていません」というセリフの無責任
前回、結衣(沢尻エリカ)と麻子(小池栄子)が一緒にいる時に、広(道枝駿佑)が学校をさぼってしかも女の子と一緒にいるらしいという情報が入り、第九話ではそのことを知った広の祖母・里恵(風吹ジュン)が家族会議を開催します。家族会議に呼ばれたのは、結衣・陽一・広・里恵に加えて、木野(中島裕翔)・琴音(高橋メアリージュン)・莉沙子(板谷由夏)・西原教授(浅野和之)・繭(藤沢遥)・柏崎オート従業員男子2名(←残業代払うべし!)といった家族以外の面々。多すぎる~と思ったら、里恵は結衣に「広が何かあった時ああやって集まって色々話してくれる人がいる」「ひとりで子育てなんかできるわけがない」と進言。「母親が何もかも抱え込むことはない」ことを知ってもらいたかった、というわけです。
これまでこのドラマは「母親は世界でたったひとり」「子どもにとって母親は絶対」「母親だから、あの子のためなら何だってできる」「母親を嫌いな子どもなんていません」といった一連のセリフで、母なる存在の重要性(母性神話)を強引に持ち上げていた印象がありましたが、第九話にして「そうはいっても母親ひとりでの子育ては無理!」とバッサリ。ああ若干ほっとしました。恋愛や学校さぼった理由を議題に家族会議が開かれること自体はプライバシーが欠如していて超うざそうですけど。
広が学校をさばって一緒にいた相手は、通りすがりの女子高生桃ちゃん(清原果那)。広は彼女のことがかなり好きなようで、花火大会に行く約束をしてテンション上がってます。これが面白くないのは結衣さんで「世界が急に変わった」「広が遠くに行っちゃうような感じ」。花火大会の当日、広が桃ちゃんと出かけてしまうとどうにも落ち着かなくて、木野に電話して広はこれまでにも彼女がいたかどうかを尋ね(もはや木野は児相の域を超えて柏崎家と交流してるっていう)、果ては大嫌いな麻子を電話して呼び出します。え、この間、もうお会いすることはありませんって言ってたじゃん……。母親にとって“息子の恋愛”ってこんなにも一大事、なんでしょうか? 3歳からずっと離れ離れだった広が、戻ってきたと思ったら早くも親離れしちゃいそうって、確かに寂しさはあるでしょうが、結衣は過干渉かも。
そんなわけで、結衣と麻子はまたまた対面します。結衣が知りたかった「広の昔の彼女の存在」を麻子は把握していませんでしたが(小学4年生までの間に彼女がいたとしたら結構な早熟だし、そもそも結衣の勘違いの可能性もあり)、それとは別に、麻子は琴音の紹介で石川県奥能登にある小さな旅館で働くことにした、と報告。広は自分の過去(人を刺して刑に服していたため、広を施設に預けた)を知ってもさほどショックを受けていないようだし、女の子と学校をさぼるだなんてあの子は遠くに行ってしまったんだな、とりあえず東京を離れて少しずつ気持ちの整理をつけていきたい、と麻子は語りました。“息子の恋愛”に複雑な気持ちを抱いているという共通項もあって、2人のバトルは若干鎮静化したように見えます。麻子は徐々に自分の状況を受け入れていっており、結衣は結衣で、少なからず麻子への憎悪が変化している様子がどことな~く窺えます。いよいよわかり合える時が近づいているってことですかね。2人とも広に対する愛情と成長を願う気持ちは同じ……ですからね。ただ、母親だからといって、息子のためだからといって、わかり合うことって必要なのでしょうか。
麻子が東京を離れることを知った広は、最後に麻子を見送りたいと希望します。広曰く「お母さん(=結衣)のためにやってくる」。「知ってるよ、お母さんが門倉さんのことで困ってたこと。俺にはもうお母さんがいる。お父さんもいる。ばあばもみんないる。だから門倉さんはもういいんだ。(中略)俺から言えばうちにはもう来ないよ」「さよならしてくる」と宣言する広。麻子と広が会うのは、第三話でママを慕う広を麻子がわざと突き放した、あの日以来です。
陽一に付き添われて麻子に会った広は、最初こそ「門倉さん、今まで育ててくれてありがとうございました。もう俺は大丈夫なんで、門倉さんももう俺のことは気にしないでください」と他人行儀でしたが、途中からは「ムリムリ、門倉さんてムリ。やっぱママはママだよ」と呼び方を戻し、「ママ、頑張ってね。元気でね」と声を掛け、麻子は涙を見せます。
麻子「結衣さんに伝えてください。どんなに償っても償いきれないことをしてしまった、本当に申し訳ありませんと。それから、それから……広を産んでくれてありがとうございます。そう伝えてください」
数カ月で何もかもが随分と変わったものです。柏崎家で暮らしはじめたばかりの頃の広は、結衣を本当のお母さんとは思えないと拒絶していましたが、いくつかの出来事を経た今は、結衣と陽一が自分の家族だと認め、あんなに慕っていた麻子との決別を自ら選びました。が、最後に握手を交わして麻子と別れた広は、帰り道、陽一に本音を漏らします。
広「あのさあ、お母さんて2人いちゃいけないのかな?」
広にとっては、麻子と結衣、どちらも母親であることが自然なのかもしれません。どちらかひとりだけに決めなければならないというのは、大人のエゴで。死別とか離別とか親の再婚とか里親とか養親とか、あるいは結婚して義母ができるとか、諸々の事由から、お母さんが2人いるような感じ、という人は結構いるでしょう。しかし今回の場合、麻子が広の母親になろうとしたことで、結衣は広を育てる時間を奪われ9年が過ぎてしまったわけで。その時間は二度と戻らないし、広の中から7年一緒にいた麻子の存在や影響や記憶を消し去ることはできないでしょう。だからこそ、そんな取り返しのつかないことをした麻子を結衣が憎むのは自然なことです。そんなこと広にとっては大人の都合。でも大人だって、愛する我が子のためだからって、憎しみという感情を変えることも消すこともできないしする必要もない(そこまでできたら逆に危険)。だから、広の中に2人母親がいること、2人の母親同士が憎しみやわだかまりを抱えること、どちらももはやどうすることも出来ない事実なのだと思います。
すると、結衣ママには思うところがあったようで、走り出しました! もちろん麻子を追いかけるため。そして来週は最終回です。ちょっと前まで連ドラって全11回が主流だったのに、最近は全10回が多いなぁ、ドラマ不況だからかなぁ。
最終回、きっと結衣は麻子に対する気持ちに何らかの決着をつけると思われますが(しつこいようですが、その必要あるのか甚だ疑問)、せめて、それは「広のため」とか「母になる」とかではなく、結衣自身のためにというスタンスだったらいいなあと思います。自分のためにここまでしてくれた、は、いつか子どもにとって負担になる怖れがあります。母として、というよりも、一人の人間・自分として、結衣が折り合いをつけるための行動であることを望みます。
【試写レポート】テレビドラマにおける母親という存在の描かれ方
【第一話】沢尻エリカ演じるベタベタ清純派の良妻賢母が宿した小さなリアリティ
【第二話】3歳まで育てた産みの母は「何も知らないおばさん」…育ての母の強烈な手紙
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【第四話】一人で苦悩する母親、父である男と一緒に親になることはできないの?
【第五話】最低な母親でもかけがえのない大切な人と思うべき? 聖母か鬼女か、極端な母親描写
【第六話】「あなた母親じゃないわ」「母親って何ですか?」他人の子をこっそり育ててきた女の事情がついに明かされる
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