連載

産まないセックスで消えたい女による、日本の愛とセックス分断考

【この記事のキーワード】

私のタナトス

 セックスをする度に生きている実感を得る。それ以外では味わえない芳醇な感覚を生き、目眩にも似た夢幻の感性の渦に溺れる。私は空っぽの筒になる。何者でもないただの女として恍惚に浸る。終わると同時に死ぬ。死にたいわけではない。切実に生きたいから何度でも死ぬ。生のきらめきの渦に巻き込まれたまま消滅したい。粉々に砕け散っても構わない。私は私であることを忘我したい。

 愛情の伴わないセックスはただただ虚しく、自己嫌悪に陥るばかりでつまらない。底知れぬ情感の詰まった知覚の蓋も開かない。忘我もできない。そんなセックスに意味などない。ただの性欲解消ならば自慰で事足りる。

 死ぬほど好きな男とは、その肌に触れただけで全身の神経が痺れ、初めての抱擁であったとしても、探し求めていた自分と対になるピースを見つけてようやく落ち着くような安堵を覚える。私たちは溶け合う。1つになる。密着する性器を起点に男の体や命に取り込まれたい。同化したい。

 はかない夢はかなわない。性器をつなげたくらいでは2人は溶解しない。2人が他者であることを容赦なく知らしめる摩擦の快楽が辛い。肉欲が満たされる分だけ哀しい。涙がこぼれ落ちる。2人が真に融合し、一体化する唯一の方法が新たな1つの生命の出産であるならば、ますます絶望的に哀しい。新しい命に用はない。私はあなたと溶け合いたいのだ。そして消滅したいのだ。じきにこのセックスは終わる。いつかあなたとの恋愛も終わる。人生も呆気なく終わる。ならば、今、死にたい。いっそあなたに、殺してほしい。

 と、ここまで書いて、思わず上記の一文を二度見する。殺してほしいと書いている。誰が書いたのだろうか。無論、私だが、思ってもみなかった願望の現出に驚かされる。これまでセックスはひどく哀しく、醜いから美しいと感じていたが、私の性衝動はどうやらタナトスに由来するようだ。

 私は死ぬほど好きな男とのセックスで死にたがっている。実際のところはまだまだ全然死にたくない。死ぬのは恐い。その恐怖を意識する情念が代償として、何度でも生まれ直すことが可能な小さな死を得たがる心象を呼び覚ますのだろうか。自分では、自己破壊や自傷願望の手前にある「忘我」が私の性の情緒と強く紐づいていると考える。これから私とセックスをする男性諸君は、どうか本当に殺さないでいただきたい。

産まない女

 セックスで消えたいくらいだから、新しい命を産み出そうとは思わない。忘我したいほどに持て余すこの面倒な自我の遺伝子を継いだ者など、地球に誕生させてはならない。元より母の持つ支配的かつ依存的なエネルギーが嫌いだから、母親になりたくない。私は私を継承しない。私として終わらせたい。家族も要らない。好きな男と家族になりたくない。1人として消えたいのに、集団としての人数を増やしてどうする。

 そもそも1つの団体に属することが苦手な性分だから、仕事も組織に縛られないフリーランスとして活動している。誰の命令にも従わない。だから誰にも守られない。ほとんど野良犬のごとく勝手に彷徨うばかりの我が人生だが、首輪をつけられて誰かに飼われる人生よりは断然望ましい。誰にも私の首に支配の輪をつけさせない。保健所に捕まった際にはどうか誰も私も引き取らないでほしい。誇り高き野良として殺処分を受け入れたい。

 誰にも、愛している人にも拘束されたくない。私は1人でお酒を飲みながらあれこれ考え、書き続ける孤独をこよなく愛している。夫や子供のために自分の時間を費やすことが考えられない。この点、勝手気ままというよりは幼稚と言える。

 こうして書き出してみると、結婚・出産に希望を見出さない自分の性質がよく分かる。私の意志以前に、性愛の狂おしい恍惚に耽溺したいあばずれなど、家族制度の方からお断りを申し渡されるだろうし、そろそろ妊娠が難しくなる年齢の者として急に出産したい願望を抱いたとしても、1人で酒を飲む時間がなくなることを憂慮する母の元に産まれて来る子供が気の毒だから、やめておこう。一生ひとりだろう。寂しいけれど、死ぬほど好きな男と長年連れ添って空気のような存在になるくらいなら、死ぬほど好きな状態で瞬殺されたい性分だから仕方がない。空疎な2人より、熱烈な1人ぼっちがいい。と、1人ぶつぶつ呟きながら飲む酒は今日も美味い。

 性の情緒を重んじる者に、安定の結婚は向かない。と、結論付けようとした私の前に、本物のあばずれが現れた。映画『パリ、ただよう花』の主人公、花(ホア)である。

1 2 3

林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。