
果たしてちんぽは届くのか。イラスト/大和彩
前篇では『ゲスママ』(コアマガジン)の著者、神田つばきさんに子宮摘出、さらにはご自身の母性や更年期についてうかがいました。前回、摘出手術後にポルチオを感じることができたと語ってくださった神田さん。中篇である今回は、神田さんが出られた「性の冒険」についてうかがいます。
▼神田つばきインタビュー「子宮を手放し、性の冒険に出た私」【1】
子宮は女の象徴だと思っていた女性が、摘出してはじめて知ったポルチオの快感
――子宮摘出の話に戻ります。神田さんはガンの診断をうけてから手術まで期間が短いですよね。
神田つばきさん(以下、つばき):その年の6月24日に診断が出て、7月上旬には手術しました。転移しているかもしれないステージだったので、一回病院に行っただけですぐ手術日が決まりました。気持ちが追いつきませんでした。怒りがあったからなんとか持ちこたえたという感じ。
――それはどのような怒りですか?
つばき:「こんな不当な目に遭ってたまるか」と思いました。自分が母になれるのかって不安はあったのに、早く子どもを作れっていわれて、出産して。セックスレスなのに中絶して、ガンになって、「転移してなかったからよかったね、っていってるお前らなんじゃい!!」って。「あたし別に幸せじゃないんですけど! あたしのここ(子宮)は出産の機械じゃないのよ!」って。
――幸せじゃなかったんですね。
つばき:それまで子どもを自分と同じような父親がいない家庭で育てたくないから、がんばってきた。だけど、私には、セックスや繁殖に対する喜びが一切ありませんでした。子どもが生まれてもうれしくなかったし、旦那さんとセックスして「この人が大好き!」とも思えなかった。自分の本当の気持ちをなにも確かめないで、イベントだけ消化しちゃったからです。出産して、子宮を取ったらエンドマークが降りちゃった。騙されたような気持ちでした。
――誰に騙されてたんでしょうか?
つばき:主人もだし、母もだし、なんなら思ったほどいい子に育ってくれない子どもたちもだし、お姑さんはもちろん、あと世の中の全部。「お前らみんな私を騙して子宮取りやがったな!」って(笑)。摘出後に、夫からも親からも「これからは女としておとなしくしててくれよ」っていう雰囲気をすごく感じました。「もう静かにお母さん業をやってね」っていう空気に対して、「ざけんなよ!」って思っちゃったんです。いまはうかつに使えない言葉になっちゃったけど、テロリストの気持ちでした。
家族を犠牲にしても、性の冒険は止められなかった
――テロリストになっちゃったんですか!
つばき:子宮を取って失ったものを、手段は選ばず強引に、恋愛とセックスで取り返そうと思ったんです。私には母性があまりないし、親から夢を与えられなかったので、それまでに自己実現ができていませんでした。だから手術後、恋愛とセックスで自分を試すことに夢中になったんです。それは私のわがままだし、その結果、家族を犠牲にしてしまいました。私と同じように自己実現できていない人たちが家族を犠牲にすることなく個々の能力を発揮できるように話していかなければ、と思っています。
――家族のどなたを犠牲にされたんでしょう。
つばき:やっぱり子どもたちですね。それは子宮を取って離婚したところから始まってるんじゃありません。子どもを産むってことの意味もわからずに、周囲に押し切られて「じゃあ」って産んだ。失礼ですよね、命に対する冒とくです。だから簡単に産んで、簡単に3人目を中絶したのね。私の母が私に夢を与えることができなかったように、私も娘たちに夢を与えることができなかった。なんにも子どもに楽しさを与えられなかった。すごく犠牲にしたなって思ってますね。
――仕事をしたことで犠牲にしたって思われているわけじゃないですよね
つばき:それもある! 仕事をはじめたときはさっきの逆で、自分を実現することにのめりこんじゃって。結局お母さんになりきれてないんですよ。 もう犠牲者続出です。テロリストのうしろにはバタバタと犠牲者がいる。
――「テロリスト」というよりは覚醒されて、病気に一矢報いるために戦士になられたイメージです。そして出会い系で積極的にお相手を探す性の冒険に出られたんですよね。