性感マッサージ当日、準備の段階から落ち着かず、拭いても拭いても夢子は全身から汗が噴き出すのだった。待ち合わせの最寄り駅には芋煮の芋のような数の人があふれかえっていた。
緊張のあまり、夢子には離人症状が出てしまっているようだった。水中にいるかのように街の騒音がぼわーんぼわーんとおかしな反響をしているように聞こえる。うまく歩けず、何度も人にぶつかって痛かった。硬いはずのアスファルトの道路はぐんにゃりとした感触でしかなく、歩いても歩いても約束の場所になかなかつかない。
やっとこさたどり着いた場所には、ウディ・アレンのような60代くらいの男性がいた。分厚い黒ぶち眼鏡をかけている。きっとあの人が性感マッサージ師さんだろう。そこで思い出した。自分はおじさん感のある男性が苦手だったということを。お金のことや、年齢・BMI制限など考えねばならない要素がたくさんありすぎて、すっかり忘れていた。だけどもう心も体も不安でぱんぱんに爆発しそうになっており、「前へススメ」以外のコマンドを夢子の脳は処理できなかった。
お互いを認識し、「じゃあ行きましょうか」といわれた。夢子はぎくしゃくとウディさんの少し後をついて歩きながらも、めまいがしてまっすぐ歩けなかった。「あの、お仕事は……」とウディさんが口を開いた。夢子は身構えた。
「……お仕事は、座り仕事ですか?」
てっきり職業を聞かれるのかと身構えていた夢子はほっとした。なるべく匿名の存在でいたかったからだ。喉がカラカラでうまく声が出なかったので、夢子は返答として、ヘッドバンギングのように首を縦に振った。
「そうですよね、骨盤がゆがんでますからね~」
とウディさん。その語り口はのんびりとしている。見ただけで骨格のゆがみがわかるらしい。声が中性的なハイトーンだったことで夢子はすこし気持ちが安らいだ。おかげでようやく離人感がマシになってきた。夢から覚めたようにはっとして、初めて周りを見渡すと、そこは人通りの少ないラブホテル街なのだった。
そのうちの1軒に入った。お風呂~整体を経て、性感マッサージという流れらしい。お風呂には、なぜかウディさんも一緒に入るという。絶対嫌なら一緒でなくてもよいが、同じ釜の風呂を浴びたほうが運動部の仲間のような連帯感が生まれ、リラックスして施術を受けられる、という理論だそうだ。この意識がぶっとびそうな状態が軽くなるのなら、と夢子は一緒に入浴することを選んだ。
一緒に入浴で至れり尽くせり
お風呂でウディさんは母親のようにお世話してくれた。
「あっお湯熱すぎる? 今度は冷たすぎない? このくらい? 勢い、強すぎないかな? 大丈夫? ハイじゃあお体ながしますね~」
夢子が「お風呂介護されるってこんな感じか……」と来るべき老いに思いを馳せていると、ウディさんが尋ねてきた。
「セックスしたくないわけじゃなかったでしょ?」
「いやあ、この10年くらい、性欲なかったですねー」
夢子はウディさんの眼鏡以外は一糸まとわぬ姿をなるべく見ないように、浴室のあちこちに目線を泳がせたまま答える。
「ひとりではしてたんでしょ?」
「年に1回くらいでしょうか」
「えええええっ!」
驚かれた。
(そうか、ひとりでするのが前提なのか。)
夢子の場合、子宮内膜症でほぼ毎日出血があったし、自慰すると腹腔内の痛みが激しくなる。煩わしいことのほうが多いので、しないことが当たり前になっていた。具合が悪かったから欲求を感じたこともなかった。