姫野カオルコ著「受難」(単行本出版は97年4月、文庫化は2002年3月)。
初めてこの小説を文庫で読んだ時、わたしはあまりの衝撃と笑い過ぎによる発作でどうにかなりそうでした。
なぜなら、主人公の女性のまんこに人面瘡が取り憑いてしまう荒唐無稽なストーリーだったのです。
当時は、その後まさか、自分がまんこアートに目覚めるとも思わず、ただただ、
『こんなに面白い小説があるんだ!』
と感動し、一時期は姫野さんの著作物を夢中になって読み漁ったものです。
あれから11年……。
「受難」は遂に映画化されました!(2013年12月7日より絶賛上映中。詳しくはコチラ!)
今回は、僭越ながらその鑑賞コメントをしたためつつ、勝手に世界に誇るまんこ名画シリーズとして、皆様にご紹介したいと思います!
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「受難」の主人公フランチェス子は修道院育ち。
モデルクラブに所属するほど美人でありながら、男と一度も付き合ったことがない処女なのは、趣味が聖書の暗唱やゴミ拾いや雑巾縫いという地味さに加え、狂気と紙一重のまじめさが原因です。
映画の冒頭で、フランチェス子は道を歩いていて車に跳ねられるのですが、頭から血を流しながらも運転手を気遣い、
「お怪我はありませんか?」
とハンカチを差し伸べます。なんとも怖ろしく笑えるシーン。
そして血まみれのまま勤務先のモデル事務所に向かい、クスという好きな男にこう告げます。
「好きです。できればセックスしていただきたいです」
その日は誕生日だったフランチェス子、僅かな奇跡を信じて自分の正直な気持ちを告白するも、当然、クスくんはドン引きます。
まじめでひたむき過ぎるがゆえに、人から敬遠されるフランチェス子……。
ある日、そんな気の毒なフランチェス子のまんこに、蜘蛛の巣ではなく、なんと人面瘡が張り付いてしまいます!
しかも、毛むくじゃらなおっさんのようなその人面瘡は、フランチェス子がいかに男にモテないダメ女であるかを延々と罵り続けるのです!
……と書くと、タイトル通り悲惨すぎるまったく救いのない話ですが、フランチェス子は人面瘡を古賀さんと名付け、古賀さんの罵りに迷惑しつつも、孤独で寂しい生活に会話相手ができたことに張りあいすら感じるのでした。
さらに、何故か男性を右手で触るとインポにさせたりちんこがポッキリ折れる恐ろしい能力まで備わりながらも、罵倒する古賀さんとともにピクニックに出掛けたり、友達に自宅の空き部屋をラブホ代わりに提供してその稼業が忙しくなったり、穏やか(?)で楽しく(?)充実した(?)日々を過ごすようになります。
ついでに、グルメな古賀さんの食事にイソギンチャクや数の子を与えていたら、まんこの中にいつのまにか本当にイソギンチャクや数の子が装備されてしまいます。
男から求められもせずセックスできないのに「名器」になってしまうなんて、とんでもない不幸……。
そんな中、ある事件が起こるのでした……。(いや、その前からトンデモ事件づくしなんですが……)
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さて、わたしはまず、フランチェス子がクスくんに、「セックスしていただきたいです」と言うシーンは、11年後の今映画で観ても泣きそうになります。
なぜなら、このわたしもフランチェス子同様クソまじめすぎて、他人からよく、「コミュニケーション取れない人」と言われるからです。
そのセリフはフランチェス子やわたしにとってはごく自然な話なのです……。
だって、男(もしくは女)と付き合いたいと思うその延長上にはセックスが必ずあるので、告白するなら最初から堂々と「セックスしていただきたいです」と言うべきなのです。
ですが、映画や原作にも出てくる通り、この日本では、男性から「ヤリたい」と意志表示されてから、「ヤラせてあげてもいいわよ」と「許可」するのがいい女の態度である、とされています。
また、付き合う女に対等な会話や意見を求めないのが日本の男の大半です。
世にはびこる「愛され」が示すように、女には可愛らしさが備わっていることが大事であって、個性やキャラクターは邪魔でしかないのです。
フランチェス子はまんこに人面瘡という、文字通り「人格を持ってしまった女」。
これでは日本の男にモテるわけがない!
(そんなわたしも自らのまんこをアートにする、最たる非モテ女! ぎゃぁぁぁ!)
(次ページへ続く)
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