カラダ・美容

水原希子の乳首は水原希子のもの。「見せろ」も「見せるな」も的外れな要求にすぎない

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 別にトップレス(半裸)で外を歩いているわけでもなし、水原さんが「エロ」目的で不特定多数に乳首を見せつけようとしているとは思えません。世の中には様々なシチュエーションがあります。

 女性がエロ目的で乳首を見せつけるシチュエーション、もちろんあります。ライブチャットのチャットレディなんかそうですね。「裏垢女子」もそうかもしれません(その中には自発的にしている女子もいれば、脅されてしている女子もいるとは思います)。

 でも水原さんがインスタに上げた画像も、テレビでした発言も、「私はエロで~す、みんな興奮してね!」なんて類のものではありませんでしたよね。

 「そういうシチュエーション」で表れたら、それは「エロ」かもしれません。でも、いつでもどこでも「エロい物質」なわけじゃない。何にだって、文脈があるのです。一方で「無意識のチラリズムがいい」「当人が意識した瞬間からエロスが消える」と見るフェティシズムもあるのでしょうが……。しかし授乳中の母親の乳房まで「エロ」と捉える人がいるように、フェチとは別の大衆的な「エロ」の共通認識が、ちょっと異常ではないかなと思うのです。個人的に「エロだなあ」と噛みしめるのではなく、「いつでもどこでも、おっぱいはみんなのエロいもの」として取り扱われていますよね。授乳中のおっぱいを「エロ」扱いして、いいことあるんでしょうか?

 いつでもどこでも、肉体そのものを「エロ」と認識してしまうのって、不自由ではないでしょうか。他人の肉体そのものを「エロ」と捉えてしまうことは、お互いの性的な思惑が合致していないのに片方だけが誤解して強引な性行為に及ぶような悲惨な事件の一因になっていないでしょうか。特に女性の「乳首」や「膣」は、時に「赤ちゃんのためのもの」として神聖視され、時に「男(たち)のためのもの」として雑に扱われます。でも実際、誰かのためのものじゃないですよね。自分の肉体は自分のものです。水原希子さんの乳首は水原希子さんのものです。他人が「見せろ」も「見せるな」も言うべきではありません。他のすべての女性たちの体ももちろん同じ、そして男性も、その肉体は男性自身のものです、念のため。

(hin-nu)

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