昔の価値観は〈不便で当然という悟り〉があったが、便利なものが多くなった現代だと、子どもは手のかかる不便なものという考え方になりがち。そしてさらなる我が国の大きな欠点は、〈古くからの伝承〉が極めてあっけなく崩れてしまったことであると指摘します。
典型的な〈昔は良かった病〉、デター。さらに父親中心の社会を〈ナショナリズム〉、母親中心の社会を〈アナーキズム〉と表現する極端な社会論をチラつかせながら「昔と比べて、今は、母原病を作りやすい問題をはらんだ親が多くなっていると言えます」と言われても、何が何だか。
これらのお説を見ていると、母原病はエビデンス(科学的根拠)に基づく医療がまだ登場していなかった時代、よくわからない症状に対してなんとか理由をつけようとひねり出した、久徳医師の苦肉の策だったのかもしれないなという気がしてきます。
治療できない言い訳?
さらに、「病気が悪化する原因は母親」「母親が間違った育児で子どもをそういう体質にした」と診断することで、治療をしても症状が改善しないことを「自分の腕が悪いせいじゃないもんね!」と思いたい気持ちがあったのでは~? なんて妄想までが膨らみます。
現代の一部の医師たちがスマホ育児ダメ絶対というそれと地続きの、「母親が楽することはけしからん」「自分がよくわからない新しいものは気に食わない」というニオイも漂いますよね。久徳医師は2002年に亡くなっていますが、もし今ご存命でしたら、日本の伝統的子育てを推す〈親学〉ともフィーリングがバッチリとマッチしていたのではないでしょうか。
もし子どもの病気などで「自分のせい」と胸を痛めているお母さんが周りにいる方がいたら、ぜひこちらの元ネタをお知らせください。いかに源流がアホらしいお説であるのか、怒りを通り越して大笑いすること必至です。こんなお説を真に受ける必要がまったくないことを、おわかりいただけるでしょう。