そう考えた夢子は長期的な治療計画についても医師と話し合いたいと思っていた。だから20代後半でようやくピルを処方してくれる病院にたどり着いた時、子宮摘出についても医師に質問した。それまですべての質問に明瞭に答えてくれていた彼は、その話題にはあまり触れたくないようだった。
「子宮内膜症は閉経まで治らないと読みました。もちろん今すぐというわけではありませんが、いずれ薬だけで症状を抑えるのが難しくなってきたら、子宮摘出も視野に入れているのですがいかがでしょう」
そういう夢子に医師は、
「ピルを使えば『治り』ますよ」
と言っただけだった。ちょっと妙な空気が流れた。「治る」ってどういう意味で使ってるのかなあ。夢子は思った。症状が軽減する、という意味で使われる場合もある言葉だ。おそらく医師はそういうニュアンスで使っているのだろうと解釈した。
今とは時代が違い、当時は、内膜症にピルを処方してもらえるだけでも本当に珍しいことで、心から感謝していた。「内膜症にはピル」と信じていたから。何軒もまわってようやくここにたどり着いた。ピルの治療効果に、疑いは一切抱いていなかった。
将来の医療に期待していた
けど日本の内膜症医療では、それはまだ常識ではなかった。この医師は、ピルの子宮内膜症における有用性をたくさんの人に伝えるのに日々苦心しているのかもしれない。摘出を悲劇的に捉えてるわけじゃないし、ピルで時間稼ぎできることもわかる。治療の一環として摘出の可能性を真摯に、オープンに話し合いたいだけなのだ、ということを短い診察時間内でうまく伝えることは夢子のつたないコミュニケーション能力では無理だった。
(ピル処方の向こう側に関する話題は、いろんな意味でまだ時期尚早なのかもしれない)
夢子は気を取り直した。
(私の子宮内膜症がどうにもならないほど進行するまで内膜症医療がこのまま、ってことはないよね。その頃には特効薬が開発されてるかもしれない。やっぱり子宮摘出なんてあまり考えなくてもいいのかも)
それから10年経った。残念ながら、特効薬は発明されていなかった。2017年現在、子宮内膜症の根治法は依然、存在しない。
突然立ちはだかった壁
その間、日本では子宮内膜症の治療薬としてピルが認められた。これまでよりも内膜症に対してピルを処方してくれる病院がぐんと増えた。ピルを処方してくれる病院をほうぼう探し歩く必要がなくなったのは非常に嬉しいことだ。
夢子も薬を処方してもらうだけには待ち時間が長すぎる大学病院ではなく、地域の女性科クリニックで定期的にピルを処方してもらうようになった。大混雑の大学病院とは違い短い時間でピルを処方してもらうことができる快適さは、素晴らしいものだった。
やがて夢子は40歳になり、ある日女性科クリニックの医師に告げられた。
「ピルはもう処方できません」
「えっ、どうしてですか?」
「40歳を過ぎると血栓ができやすいからです」
ピルなしでは生活できないぞ、どうするんだ。夢子。医師がなぜこんなことを言い出したのかは、次回語る。