
イラスト/大和彩
ピルがライフラインだった夢子だったが、40歳になり、ある日女性科クリニックの医師に告げられた。
「ピルはもう処方できません」
「えっ、どうしてですか?」
「40歳を過ぎると血栓ができやすいからです」
この医師の言葉は意外だった。ピル服用にはもともと血栓症のリスクがあり、それが40歳を過ぎると大きくなることは承知していた。だけど、それ以前から使っていた人はピルをやめると内膜症が悪化するから40歳以上になっても使いつづける、と、もとの大学病院では聞いていた。定期的に血液検査をして、喫煙の習慣がなければ血栓にはそんなに神経質にならなくていいとも聞いていた。
40歳の誕生日の0時0分きっかり、時計の鐘が鳴った瞬間からリスクが跳ね上がるわけでもなかろう。年齢を根拠に薬を規制するのは、あまりにもドグマが過ぎないか? 女性個別の血液検査・体型・ライフスタイルを基に判断してもらえないものだろうか。
「ピルでとても安定しているので、できれば薬は変えたくないのですが」
そう伝えたが、医師は譲らなかった。
「無理です。どこの病院でも40歳以上はピルを使いません。代わりにDという薬を使いましょう。Dは、子宮内膜症を患部に直接作用して『治し』てくれるから、こっちのほうがいいんです」
また出てきた、「治る」だ。以前の夢子だったらこの語を聞いただけで心のアラームが発動しただろう。だが、10年経ち、彼女のアラームは錆びついていた。
「はあそうですか……」
釈然としないまま夢子はごちゃごちゃと考えた。この医師も「治る」という言葉をどういう定義で使っているのだろう。だけど「治る、ってどういう定義で仰ってますか? 子宮内膜症は完治しないと理解していたのですが」と発言するのは、そんなつもりではなくても日本では「大人げない」とか「食って掛かってる」とかって思われるんだよなあ。
痛み以外の感覚がなくなる
10年前の大学病院での気まずい空気が思い出される。用語の定義を明らかにした上で、同じことについて話していることを確認したいだけなんだけどなあ。
夢子はDを受け入れた。10年の間に特効薬が発明されるかもしれない、という過去の期待が彼女にそうさせたのかもしれない。
「治る」という日本語は「完治しない」の隠語だったのか。残酷なレトリックだな。
そううがった見方をしてしまうほど、Dは夢子にとってさんざんな効果しかもたらさなかった。俺は3週間、毎日血を吐いた。尋常ではない量だ。俺も長いこと内膜症やってるが、これほどのまとまった量の血を長期間、続けて排出したことはこれまでにはない。夢子の痛みは耐えがたく、これまで培ってきた生活の工夫や鎮痛剤の飲み方を駆使してもなお、それは増悪するばかりだった。
もう自分なりの生活の工夫をすれば症状がましになっていたころとは違う、ということを夢子は痛感した。いつの間にか内膜症の進行具合は、小手先では太刀打ちできないほどになっていたのだ。
20時間は寝込む日常
やがて夢子は1日に20時間は寝込むのが日常になってしまった。起きあがれないのでお風呂や食事という日常生活が営めない。楽しみにしていたイベントも仕事もキャンセルだ。仕事、健康、人間関係、趣味など、すべてにおける人生のコントロールはおろか、頭の能力、身体能力、情緒の安定も消え失せていく。そのことで夢子は自分を責めるばかりだ。
「痛みに人格がのっとられる」ーーそう夢子は表現しているのだが、内膜症の状態がひどい時、夢子はいつも精神も荒廃したようになる。やがてこう思うようになっていった。
今の私は、まぶたを開け、排泄し、呼吸をするだけの廃人だ。生きているというより、ただここに存在するだけ。自分にだって人生の夢や目標、やりたいことがあった気がする。だけど、痛みにかき消されて思い出せない。もう何もかもがどうでもいい。私の人生、なんの希望もない。
仕事も生活も頑張れない、そんな人間が自分に自信など持てるはずもない。やがて、夢子は自分が大嫌いになっていった。夢子は自分の中に存在する、自分に対するすべての自信、敬意や信頼性を失ってしまったのだ。