医師は、善意で薬を勧めているのだろう。夢子は彼に対して怒っているのではない。患者にとって不要かつ副作用の大きい薬をあまりにも簡単に処方する日本の医療慣習に怒っている。
これは10年前の病院探しで学んだことだが、たとえ女性科が専門の医師であっても、全員が子宮や卵巣の疾患に詳しいわけではない。子宮内膜症を専門とする医師となると日本に数えるほどしかいない。
ここはほとんどの患者が妊娠に関連した用件で訪れる、町のクリニックだ。日々山のような患者の診察と医院の経営に追われているこの医師が、最新の子宮内膜症治療までに精通する時間などあろうはずもない。そもそもここに来たのもピルの処方をスピーディに済ませるためだけと割り切ってのことである。
とはいっても、血栓にはあれだけ神経質なのに、Rの副作用にはなぜこんなに寛大なのだろうか。エコー検査だけでRをこうも急いで処方しようとする姿勢がそもそも解せぬ。更年期に似た副作用では死に至らないからというならば、あまりにも短慮ではないだろうか。まさに今の夢子がそうだが、人間は生きたままでも死んだ状態になれるのだから。
「いつか」がついに訪れた
現状を整理しよう。要するに、自分はいま、日常すら送れない状態だが、このクリニックではさらに体調が悪化するであろう薬しか処方してもらえない。
OK、ならば最適な対処法は?
クリニックによっては40歳以上でもピルを処方してくれるところもあると聞いているが、この体調でそれを探すことはとても大変だ。きっといろんなところでピルの処方を断られるし、Rを勧められるのだろう。10年前とは病状が違う。たかがピルの処方ごときに奔走し時間とエネルギーを費やすのは、今の自分にはもう価値がない。
自分の仕事や生活すべてを侵害する痛みをもたらす出血、いつかはこれを根本から断とう。そのための最適のタイミングを10年間ずっとうかがっていた。その「いつか」が今、来たということだろう。
私は10年待ったし(その間、一度も子供が欲しいと思ったことはなかった)、閉経まではまだかなりの年数がある。
悔いはない。最適の対処法、それは自分から自分への敬意、自信、信頼性を取り戻すために迅速に動くことだ。子宮摘出に向けて夢子の心は決まった。