
美しすぎる松雪泰子。公式HP
劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。
目の前にある限られた空間で、俳優が生身の体と声で演じるからこその説得力は、戯曲のあらすじを超越した「イメージ」を生み出します。舞踊やパフォーマンスのように、セリフがなくても物語性が感じ取れることや、ストーリーがないのに芝居として成り立つこともあるのが、演劇の不思議なところであり、魅力でもあります。もっとも、その目的が必ずしも成功するとも言い切れないのが、ライブである所以なのですが……。
11月に公演された舞台「この熱き私の激情 それは誰も触れることができないほど激しく燃える。あるいは、失われた七つの歌」は、強いイメージを持つ作品ながら、観客によってはかなり困惑してしまう、とても「演劇的」な作品です。女として生まれ生きていくことの息苦しさや痛み、戸惑いなどを感じているひとりの女性の人生を、松雪泰子や小島聖ら6人の女優によるモノローグとひとりのダンサーが演じています。
「この熱き~」は、2013年にカナダで初演され、大絶賛を浴びた作品。カナダ生まれの小説家ネリー・アルカンの書いた『ピュタン―偽りのセックスにまみれながら真の愛を求め続けた彼女の告白―』などの4作品から抜粋した文章で構成されています。アルカンのデビュー作でもある『ピュタン』は、かつて自身が高級娼婦として働いた体験や思いを題材にしており、出版されたフランスではベストセラーになりましたが、カナダでは彼女のセクシャルな経歴と容姿が取り沙汰されることが大半で、36歳で自死。その人生をなぞった作品は「この熱き~」だけではなく、この秋に映画「ネリー・アルカン、愛と孤独の淵で」も公開されています。
死に魅せられる高級娼婦
舞台のセットは、2階建てのショーウインドウのような、前面にガラスがはまった10個の部屋になっています。そのうち6つの部屋にひとりずつたたずむ女優が演じるのは、娼婦役。ガラス張りの部屋はおもちゃ箱のようであり、海外の女性を品定めするための歓楽街のようにもみえます。
娼婦たちはひとりずつ、とりとめなく独り言を述べていきます。幼少時の習いごとに断念したことと、容姿のコンプレックス。生まれる前に親が期待していた”男性”に生まれたかったという欠落感。男女の間には「わかり合えなさ」があるということだけは、互いにわかり合えているという虚無感――。娼婦たちのつぶやきから漏れる闇を縫うように、時には拾い上げるように、空いている部屋をダンサーが通り抜けていきます。
彼女たちは皆、「死」へ魅せられており、そのつぶやきには自然の美しさや宇宙の偉大さへの憧憬、宗教観念も語られます。「死んだ星の光は、どんなに遠くても一番眩しい。多分それは死ぬ時に、自分の一番いいものを手放すから」――。セリフは具体的なものと抽象的なものが万華鏡のように散りばめられ、とても美しいのですが、怒涛の勢いといろどりの鮮やかさに圧倒されて、ついていくのがやや困難。
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