
イラスト/大和彩
前回は子宮摘出手術をしてくれる病院を見つけるまでの、我々のアドベンチャーについて話したな。今回は、手術を祝福したいと考えた夢子が開いてもらった「子宮摘出パーティ」だ。
米国のPinterestというSNSで、夢子はかわいいものを見つけた。海の向こうでは子宮の形をしたケーキや卵巣に見えるカップケーキをこしらえ、摘出手術を受ける女性が入院する前にパーティを開くらしい。ケーキや招待状はどれもかわいらしく、おしゃれで、ウィットに富んでいる。眺めていて楽しい気分になった。夢子が手術のために匍匐(ほふく)前進でよろよろと歩んできた現実とは別世界である。
この風習を夢子はとても羨ましく思った。暗中模索の病院探しは息が詰まるような体験だったが、子宮摘出パーティにはカラッとしていて呼吸しやすい空気があるようだった。世間にこんなふうに楽しく笑顔でこれからの手術を捉えてもらえれば、どんなにいいか! 患者も、綺麗で美味しいものに囲まれて楽しい気分になることでストレスも軽減されるだろうし、それは病気にいいに違いないのに!
必要な医療を受けるため戦ってきた
だが「子宮摘出する〇〇さんのためにパーティやろうよ。インスタ映えしそうなスイーツたくさん揃えてさ!」と言い出せる雰囲気は日本にはない。思えば、子宮内膜症だと判明したりピル服用を開始したりして以来、世間の偏見にさらされるのではないか、とそれらの事実を隠してビクビクしながら暮らしていた。
ピルの処方や子宮摘出を希望してからも、医師とはバトルすることのほうが多かった。今までの内膜症治療において、自分の決断を医療プロフェッショナルに支持してもらえたことがほぼなかったのだ。子宮内膜症の治療としてのピルや摘出を望む夢子は、あくまでも日本の医療界で「異端」「奇特な人」というポジションであり、夢子自身その役割を引き受けることでかろうじて求める治療を得てきたのが現実だ。
手術予約前は、「お医者さまぁ、摘出することをご検討くださいませんでしょうか。へえ、わかってますだ、私がヘンなことをお願いしてるだけです。何が起こっても文句は言いませんだよ」と卑屈なまでに平身低頭し、ゴーサインを得ると、「手術していただけるんですか。ありがとうごぜえますだ!」と土下座せんばかりの勢いである。何よりも医師のごきげんを損ねないように馬鹿なふりをして気を張ってきた。
モンスター患者じゃないのに…
夢子は目標完遂のためなら手段は選ばないタチだ。だからこれでいい。しかし、しかし、だ。摘出は長年の病状のせいでいろんなものを失い、悩み、苦しみぬいた上で、真摯に考えつづけてようやく導きだした決断なのだ。人生を変えたい、よりよく生きたいという並々ならぬ思いから決めたことだ。痛みのなか這うようにして病院を訪れ、人生をかけたプレゼンを医師にする。おおげさに言っているのではなく、夢子にとっては命をかけて行っていることなのだ。
誤解しないでほしい。労りや優しい言葉など医師から求めていない。人格の素晴らしい医師など初めから探していない。医師に求めるものはただひとつ、的確な薬の処方を始めとした治療プランだ。だからこそ、というべきか。ピル処方を始め自分の決断の数々が紙くずのように扱われることに対しては、やりきれない気持ちをずっと抱えてきた。
なかでも「子宮はないけど妊娠したい」と言い出すような人間と一緒の箱に分類されたことには痛く尊厳を傷つけられた。そう思うのは自由だ(狂人の考えだとは思うが)。けれど夢子からしたらそれは「すでにプラスのところにある人生にもっとプラスしたい」という(狂ってはいても)余裕のある訴えだ。