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賞賛される「凄い母親」と「普通に働く」ワーママの窮屈

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 さらに本書は「凄母たちのように、やりがいのある仕事がなければ、育児をしながら普通に働けないの?」という疑問も抱かせます。就職活動の際には「やりがいのある仕事をしたい!」と意気込んでいても、現実には、やりがいを感じていないながらもなんとなく、仕方なく仕事を続けている人が大部分なはずです。それが普通の働き方だと私は思います。そして、男性は、そうした普通の働き方を無条件に許されている。

 「子供ができたから、やりがいのない仕事を続けたくない」という悩みは、男性には存在しないでしょう。むしろ、今の日本社会で男性は「子供ができたから、何が何でも稼がなければいけない」「育児よりも仕事をするのが務め」という役割を担がされ、過剰に仕事に邁進して家庭をおざなりにしがちです。一方、女性の場合は、「仕事か子供か」の二択を迫られたり、「やりがいのない仕事のために育児をないがしろにして」と非難されることまであるのですから、男女の不平等を実感せざるを得ません。男性も女性も「普通に働く」ことが、なぜこんなにも難しいのでしょうか。本書の最後に登場する上野千鶴子先生は、そうした男性中心主義的な制度設計やシステムを厳しく批判されていますが、男の私には上野先生の言葉が余計に突き刺さります。

 凄母たちの仕事や子育てぶりに疑問があるわけではありません。しかし、彼女たちが「凄い母親」として賞賛されているうちは、女性が普通に働くことは難しいのではないか、と思いました。ワーキングマザーには「人の何倍も頑張って誰にも文句を言わせない(自分も納得させる)」か「制度を利用して居心地悪く仕事する」の二択という貧しい選択肢しかない状況を、本書はありありと浮かび上がらせるのです。そこからはみ出すと育児に専念することとなり、ワーキングマザーではなくなってしまいます(「いいえ、私は制度を利用して居心地良く適度に仕事をし、育児もしています」という異論のある女性もいるにはいるかもしれませんが……)。

 問題は、企業の制度やシステムだけにあるわけではないでしょう。凄母の配偶者たちは、皆「育児に協力的」と評価されています。しかし「お茶碗を洗ってくれる」、「保育園への送迎を率先してやってくれる」といった男性の育児協力が評価される状況がそもそも不平等ですよね。それは育児に関わる女性は、普通にやっていることなのですから……。

■カエターノ・武野・コインブラ /80年代生まれ。福島県出身。日本のインターネット黎明期より日記サイト・ブログを運営し、とくに有名になることなく、現職(営業系)。本業では、自社商品の販売促進や販売データ分析に従事している。

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カエターノ・武野・コインブラ

80年代生まれ。福島県出身のライター。

@CaetanoTCoimbra