
イラスト/大和彩
前回、夢子が摘出手術を受けたお陰で、子宮である俺はようやく自分のボディを脱出し、新たに再生した。その結果、俺はより強く鍛え上げられた存在となったが、夢子は手術後の痛みにまだ慣れず、じたばたしている。
手術翌日、歩けるようになった夢子がまず何をしたと思う? 体重を計ることだ。夢子はかねてより、「腹の手術の影響で体重が増えるか」「腹部が肥大するのか」に多大なる関心を抱いていた。もとの体重なら、手術前に病棟の体重計で計測を済ませてある。手術前日からの絶食はまだ継続している。手術のみが体重に及ぼす正確な影響を計測する、絶好のチャンスは今しかない。
夢子はガラガラと点滴棒を押しながら体重計の置いてあるシャワールームに向かい、体重が3kg増えていることを知った。内臓ひとつ取り除いたのに残高が増えているとはなんたることか。納得がいかなかった。
その夜はずっと利き手に刺さっていた点滴が外れ、夢子と点滴棒とのハネムーンは終わりを告げた。ああ、点滴棒よ。彼はまるで背の高い恋人のように夢子に寄り添い支えてくれた。お別れは少し寂しい気もしたが、手を使えるようになり寂しさは一瞬で吹き飛んだ。束縛なく腕を使える解放感といったらなかった。
腕の解放感は、その夜、再開した食事である重湯(おもゆ)とともに存分に味わえた。重湯の正体を俺は知らなかったが、米を炊いてできる日本の伝統的なスープのようだな。たいへん美味だ。
痛みとともに生きてきたから
当然、これで何もかもOKというわけにはいかない。手術後2日目の深夜、夢子は突如、起こされた。鎮痛剤の入った点滴が外れ、眠りを中断するほどの激痛が始まったからだ。体が熱っぽく火照り、だるい。炎症が起きているからだろう。
痛み引き起こすのは、プロスタグランジンという物質だ。厄介なことにプロスタグランジンは寂しがり屋だ。あいつらは、時間の経過とともに自分の数を増やしてしまう。プロスタグランジンが増えてから鎮痛剤を使っても何の解決にもならない。
一度、増えてしまったプロスタグランジンたちは、たとえ痛みの本当の原因である炎症などが収まっても体の中を駆けめぐり宿主を苦しめ続けるからだ。生理痛でも頭痛でも、痛みが出ても我慢してぎりぎりになるまで鎮痛剤を用いない者が多いが、これは賢明さからはほど遠い。
長年、痛みとともに生きた経験があるから、夢子はこのことを知っていた。目を覚ました夢子はあわててナースコールで鎮痛剤を頼まなければならなかった。鎮痛剤で何とか痛みを凌ぎつつも、眠れない夢子だった。
痛い。熱が続いていて背中が燃えるように熱い。夜は暗いし、怖い。逃げ出したいのに手足を動かせないからもどかしい。原始的な恐怖に夢子は飲み込まれそうだった。