カルチャー

二度とあの日に戻りたくない。産後クライシスの記憶

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男性が読んでも「で?」

 産後クライシス回避に有効な手段のひとつは同書の第五章にあるように、社会が「男性も子育てをするもの」という認識を共有し、企業などで「子育てシフト」を組むことなのだろう。だが結局は、各家庭、夫婦の問題だ。同章の終盤にある、育児に積極的に取り組んでいた夫が、ある日突然「家の中に自分の居場所がない。一緒に暮らしていても幸せでない」と飛び出してしまったエピソードは印象的だ。その男性は、第一子誕生後に妻との話し合いを経て、家事・育児をおよそ平等に分担するようになっていたという。しかしおそらく本心では納得していなかった。あるいは、その家庭状況に満足していなかったのだろう。

 本書の帯に「仕事で疲れてるんだ、という男性たちに絶対読んでもらいたい!」とあるが、これを読んだところで、仕事の疲れが軽減されるわけではない。むしろ「あー……まじ無理」とげんなりするだけではないだろうか。たとえ妻や子を愛していたとしても、「そんなこと言われても困るよ。仕事減らせないよ」と困惑するのではないか。「よーし、じゃあ俺も仕事を減らして頑張るよ!!」と取り組んでくれることは稀だと思う。しかし母親不適合の妻はもう瀕死。耐えに耐えて発信したSOSを無碍にされたと受け止め、「この人は私のことも子供のことも愛していないのだ」と思い込み、夫婦仲が冷え込む。愛ゆえに結婚したはずなのに、いつしか慈しみ合えなくなってしまうという悲しみ。あるある。お互いに負担ばかり増大し、やがて破綻するのは当然のなりゆきだろう。打ち明けてもだめ、抱え込んでもだめ。八方塞がりとはこのことだ。私は、やはり、どちらかが割り切るしかないのだろうという結論に達した。大人になるってそういうことなのかもしれない。

 とはいえ、恋愛からスタートして愛も恋も失った夫婦生活は、愉快なものではない。『産後クライシス』には、夫をATMだと割り切って「お金のため、お金のため」と言い聞かせながら生活しているという主婦のコメントも載っていた。この手のネタは、女性向け週刊誌や相談系サイトなどでもよく目にする。その考えを否定はしないが、「よりよく生きたい」と思うとき、私は配偶者をATM扱いすることはできないし、ATMと同居することもできないし、召使いに徹することもできない。

 男性は男性で、家族を持つことで社会的なプレッシャーにさらされる場合も多い。「男は懸命に働いて家族を養うべき」という価値観は今も王道だ。前述したことと重複するが、子供の誕生や成長を「母親」の、「父親」の、個人的な人生最大の喜びとすべき、という圧力も感じる。男女共に、いくら子供を産んだといっても、「子供が何より一番!」の精神にいきなりシフトできるものではない。もちろん産むと決めた以上、無事に育てていく義務は生じるが、家族のために献身し人生のすべてを捧げるような奉仕の心を強要する空気にはうすら寒さを覚える。

 カエターノさんも記していたが、「出産は人生最大の幸福イベント」と捉えられがちだ。だが、それを幸福と思えない、家族といる時間を幸せに思えない、子育てがつらい、負担ばかりが募る――そういう人もいるし、いざ産んでみなければそのことはわからないものだ。だから私は、結婚や妊娠を希望する友人女性に対して安易にそれを推奨はしない。妊娠が発覚した友達に対しても、「産んじゃえばなんとかなるよ」とは言えない。ただ、著者二人があとがきで訴えているように、社会常識として父親への産後支援意識が共有されれば、少しは状況も変わるかもしれない。

 もう一冊、昨年11月に刊行された離婚カウンセラー・岡野あつこ著『産後クライシス なぜ、出産後に夫婦の危機が訪れるのか』(角川フォレスタ)も参考のため購入したが、こちらはもうこれ以上ダメージを受けたくない気持ちでいっぱいになって、失礼ながらパラパラ流し読みをした程度でそっと閉じた。まえがきの時点でもうきつい。「夫婦の絆」ってなんですかね? まじ二次元の世界で生きたい。自分自身、見て見ぬふりをしてやり過ごしてきた「産後クライシス」から本当の意味で脱するのはまだ時間がかかりそうだ。
(ヒポポ照子)

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ヒポポ照子

東京で働くお母さんのひとり。大きなカバを見るのが好きです。