連載

子供の目線で綴る、現代の児童養護施設の実録

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『いつか見た青い空』新書館

『いつか見た青い空』新書館

 以前このコラムで書かせていただいたドラマ『明日、ママがいない』を放送する日本テレビはその後、抗議の声を受け、ドラマ後半の内容を変更する意向を表明しました。抗議内容のひとつが、「養護施設の子どもや職員への誤解偏見を与える」というものです。そこで湧き上がるのが、「養護施設って、実際にはどんなところ?」「子どもや職員は、実際には養護施設でどのように暮らしているの?」という素朴な疑問。その疑問に答えてくれる、素敵な本を拝読しました。

 『いつか見た青い空』(りさり/2011年新書館)を拝読いたしました。著者・りさりさんが1歳から9歳まで暮らした児童養護施設での生活が、主人公「さり」ちゃんの視点で綴られています。

 『いつか見た青い空』には、りさりさんのブログ『ぬるく愛を語れ!』で発表された漫画が再構成されて収録されています。実際に児童養護施設で暮らした人が自らの体験として語った私小説、しかも漫画を読むのは、私にとってはりさりさんのブログが初めてでした。

 恥ずかしながら、これまで私の児童養護施設に関する知識は、子供時代にビデオで何度も繰り返し見た『アニー』、そして、小学生の頃はまって、シリーズ全巻読みあさった『青葉学園物語』(注1)シリーズから得た情報に限定されていました。けれど『アニー』は1930年代のニューヨークが舞台。『青葉学園物語』は戦後間もない日本の話。どちらも、児童養護施設が舞台だからというよりは時代が違いすぎて、自分が生きている世の中とは距離があるように感じていました。

 『いつか見た青い空』では、現代(りさりさんが子供の頃)の児童養護施設での生活に触れることができる、という点が上記2作と決定的に違います。

 「もしかしたら、さりちゃんみたいな子と同じクラスになってたかもしれないんだなぁ」と想像しながら読むことが可能。自分と同時代性のある事柄として読めるわけです。『アニー』や『青葉学園物語』では、そのような読み方は不可能でした。

注1  )吉本直志郎の児童文学作品。シリーズ5冊は1978年~1981年発行。著者は11歳から18歳までを原爆孤児のための児童養護施設で過ごした。

さりちゃんの幸せな子供時代

 この本を読んでいてとても楽しい気持ちになれるのは、主人公さりの養護施設での毎日が、「私も仲間にいれてほしい!」と思うほど素敵だからでしょう。

 『ぬるく愛を語れ!』によると、りさりさんの暮らした児童養護施設は「カトリック系の女子ばかりの施設/教会のある敷地内に5つのホームがあり、それぞれ20名の子供とホーム長のシスターと保育士などの職員が住み込みなどで暮らしている」のだそう。

 養護施設に暮らす姉妹が、仲良く花の首飾りを作っているシーンでは、2人はかわいらしく芝生に座っています。木陰を作っている大きな木の巣には小鳥が眠っていて、まるで絵本の中の世界のよう。こんな風に一目で豊かな緑に溢れた幸せそうな生活を感じ取れるのは、漫画ならではです。

 文章からも、いかにさりが自分の育った養護施設を愛していたかがわかります。

P.132 「さりは物心つく前から児童養護施設でシスターや保育士と暮らしていた。さりは親の顔も名前も知らなかったけれど、たくさんのお友達と毎日楽しく暮らしていた」

P.15 「古い大きな教会もさりの住む清潔なホームも緑の庭もさりは全てがお気に入り/同級生たちの家より広くて住み心地が良いと思っていた/寝る時間まで賑やかなこの生活が好きだった」

p.26 「素敵なことがいっぱい。シスターも先生たちもだいすき。困ったこともないし自分を不幸だと思ったことも無い。それどころか毎日楽しい」

かわいそうな人って、恵まれない人って、わたし?

 幸せいっぱいな日々を、楽しく暮らしていたさりにとっては、自分が「かわいそうな人・恵まれない人」だなんて、思いもよらないことでした。

 規則正しい三度のご飯、お休みの日は十時と三時のおやつ。出かける前、食事をいただく前、寝る前にはお祈り。たくさんのお友達とお外で遊んだり、おもちゃで遊んだり。寂しさなんて感じたことがなく、むしろ、顔をすっかり忘れているお母さんが面会に来ると、人見知りしてしまう。時に悪さをして、カトリック流の厳しいおしおき(注2)を受けたりするけど、シスターや保育士さんにいつも愛情深く見守られている。安心で暖かく生活を、さりは養護施設で送っていたことが、この本を読むとよくわかります。

 機能不全家庭で育ち、家庭というものに暖かい思い出が一切ない私は、勝手ながら、「さりちゃんのいた施設で自分も育てられれば良かったのに」、と何度も何度も思いながら読みました。

注2)さりは悪い言葉を使った罰として、シスターに石鹸で口を洗うよう言われます。私は英語圏で育ったのですが、「石鹸で口を洗う」という表現は日常的に耳にするものだったので、なんだか懐かしい気持ちでこのエピソードを拝読しました。

出会い・別れ・再会

 もしこの本が大人目線で描かれていれば、児童養護施設に子供を預けた時点が一番暗くて悲しく、施設に子供を迎えに行った時は明るくて嬉しい日というふうに描かれると思います。けれど、この本では、「施設に親が子供を迎えに来る日」も、子供目線で語られます。

P.188 「物心着く前からここで暮らしていたさりには、いつかここを出て行くなんて考えられなかった。先生達や幼なじみ、シスターSが暮らすこのホームがいつまでもこのまま皆の暮らす場所でいて欲しいと願った」

 「親が迎えにくる」。大人から見れば「お父さんお母さんと暮らせるようになって良かったわね、もう寂しくないわね」で済まされる出来事です。

 けれど、ものごころついた時からずっと施設で暮らしてきた、さりのような子にとって、親が迎えに来て養護施設を出るということは、生活環境や周りの大人、お友達がまるっきり変わってしまうことを意味します。親が迎えに来てくれるのは、嬉しいことではあるけれど、恐怖も大きいのではないかと想像しますし、環境が変わることによるストレスはあって当然だと思います。

 ある日、さりの妹分の詩織もいなくなります。突然カラになった詩織のベッドと机を見つめる、後ろ姿のさり。このシーンではさりの表情は隠れたままです。あえて表情を読者に見せないことで、さりの悲しみの深さがより、強調されているようです。お母さんには人見知りしていたさりが、詩織の突然の別れにはひどくショックを受けていることが、寂しそうな後ろ姿から伝わってきます。

 誰かがママのところに帰るということは、施設に暮らす子供にとっては、それまで一緒に育ってきた幼馴染たちとの突然の別れを意味します。お別れの言葉を交わすことなく、施設を出てしまうこともあるのだとか。殆どの子は転校してしまうし、施設から出て手紙を交換することもなく、出てしまえばもう会えないのだそう。けれどある日曜の午前中、シスターSが子供たちにこう話すのです。

「私たちはいつかここを出て、それぞれの人生を歩みます。遠くに行ってもう二度と会えない人もいるでしょう。でも、また皆で会える方法がひとつだけあります」

 そして皆がいつかまた会えるよう、シスターSと子供たちは、ある約束をするのです。

 りさりさんは「このシスターSとの約束は施設を出た私の支えになり、結果的に自分を守る事になるのをこの時は知る由もなく――」と書いておられます。その約束が何であるかは、ぜひ本書で読んでください。私はこのエピソード(『出会い・別れ・再会』)を読むたびに泣けて泣けて仕方ありません。

■歯グキ露出狂/ テレビを持っていた頃も、観るのは朝の天気予報くらい、ということから推察されるように、あまりテレビとは良好な関係を築けていなかったが、地デジ化以降、それすらも放棄。テレビを所有しないまま、2年が過ぎた。2013年8月、仕事の為ようやくテレビを導入した。

連載【月9と眼鏡とリモコンと

大和彩

米国の大学と美大を卒業後、日本で会社員に。しかし会社の倒産やリストラなどで次々職を失い貧困に陥いる。その状況をリアルタイムで発信したブログがきっかけとなり2013年6月より「messy」にて執筆活動を始める。著書『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』。現在はうつ、子宮内膜症、腫瘍、腰痛など闘病中。好きな食べ物は、熱いお茶。

『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』