とはいえ、出産も結婚も経験していないと、ひたすら相手の悩みを聞いてあげることしかできないし、答えを提案してあげられないもどかしさは大きくて。手助けしてあげたくても、どこに手を、どこに言葉を添えてあげたらいいのかわからない。憶測で語るには浅はかすぎるし、「やっぱりわかんないよね」と呆れられるのだって怖い。二十代半ばって、こんな感じなのか。コラムを書き始めた20歳の頃にはこればかりは、わからなかった感覚でもありました。相手にとっても、AVという特殊な仕事をしている私の悩みだってよくわらかぬ代物であることに違いなく、年を重ねたことで交友関係ががらりと変わったのは言うまでもありません。
でも、そういう友達はやはりどこか幸せそうです。独り身で生きる覚悟がずっとある私からしてみたら、掴み取ることがあるのかもわからない、大きな幸せの形でもあります。きっと永遠に恋愛は繰り返されていくだろうし、加齢とともに異なっていく付き合い方にも必死に向き合っていかなければいけないのだなと思うのです。ともなれば、messyコラムの題材も尽きないものであるのかもしれません。今までも本当に、いろいろと書いたよなぁ。
そもそも「愛ってなんですか?」というテーマで始まったコラム連載でしたが、その答えは当然ながら、ようわかっておりません。だけれど、人をひとりでも好きになってしまえば、そこに注ぎ込まれる気力の消耗加減たるのはすごいもので、ときめきなんて可愛らしいものですらなくなっていくのであります。恋愛の悩みには何の生産性もないからこそ、相手に求めてしまう煩わしい“見返り”もあるし、変に相手を理想化して期待しすぎてしまったりして、やはり上手くは進みません。そう簡単に、問屋が卸してくれないんですよ……。以前から変わっていないことといえば、そういったことくらいでしょうか。
でも、そうやって2013年から始めたこのコラムも、ついに終わりを迎えることになりました。ていうか、改めて、そんなに長くやらせてもらっていたんだ……という感慨深さがしみじみと襲っております。うう、寂しい。