先週は雪が降ったりオリンピックが開幕したり都知事選があったりと、いろんなニュースがあった中で、個人的に最も考えさせられたのは、佐村河内さんのニュースでした。
佐村河内守さん(50)。現在スキャンダル真っ只中のお方です。聴覚障害を持ちながら交響曲第一番(HIROSHIMA)を作曲したとされ、2008年に「広島市民賞」を授与されていた(現在は取り消されている)人物でした。そんな佐村河内作品、作曲はゴーストライター・新垣隆(43)さんの手によるものということが2014年2月6日発売の『週刊文春』(文藝春秋)の記事によって明らかになり、同日行われた新垣さんの記者会見では、佐村河内さんは聴覚障害を持っているかどうかも怪しく、佐村河内さんのピアノは初歩レベル、楽譜は書けない、耳は聞こえていたなどの情報が明らかに。
ワタクシ、個人的に佐村河内さんの一連の詐称に関しては、ふつふつとした怒りを感じます。生理的嫌悪感に近いかもしれません。新垣さんが真実の暴露に至られたお気持ち、勝手にわかったような気になってしまっているくらい。
そんな私ですが、初めはこの佐村河内騒動に関して、「ゴーストライターもプロフィール詐称もよくあることだし……」という冷めた見方しかしていませんでした。けれど今は、佐村河内さんの一連の詐称は、一般的に許容できるレベル(もしそんなものがあるとすれば、ですが……)の詐称を大きく上回る、悪質な詐称キャンペーンだったと感じています。佐村河内騒動に関しては「ゴーストライターがいた事実を隠していた・プロフィール詐称をしていた」以上の問題がある、と今では思っています。
ゴーストライターは別にいいと思う
一連の佐村河内さんに関する報道に最初に触れた時点で思ったことは「ゴーストライターがいたこと自体は、別にいいんじゃないの?」ということでした。
古くはルネサンス時代、絵画は工房で沢山の人の手によって制作され、絵画の制作者として名前がクレジットされる工房の親方は、制作における総指揮を取る、という共同制作が主流だったといいます。現代美術においては、分業化はますます一般的に。芸術家は作品のコンセプトについて論文を書くのが主な仕事で、作品そのものは、業者に外注するということは珍しくも何ともありません。
今の日本には、演奏していないのにエア・バンドとしてライブパフォーマンスを観客の前で繰り広げるバンドもいれば、初音ミクのように映像だけの実体のないヴァーチャル・アイドルもいます。作曲家と表に出る人が別という点は、たいして問題ないのでは? と報道に接してまず思ったし、今でもそう思っています。
けれど、それは佐村河内さんのプロフィール詐称がいかに凄まじいものか知る前のことでした。
プロフィール詐称
佐村河内さんは、聴覚障害を持っていると言っている。けれど新垣さんは、耳は聞こえていたと言っている。なかなかその真偽を判定するのは、専門家でもない限り難しいのではないかな、というのが報道に接した時点での自分の考えでした。
商業主義の世の中、芸能人を売るために顔やプロフィールにテコ入れするのはよくあること。世界的に有名な、とある指揮者の名前も実は芸名らしいし。「多少、大言壮語交えて宣伝することもあるのだろう」くらいの考えでした。けれど、佐村河内さんのウェブサイトを見て、自分の考えがいかに甘かったか思い知ったのです。
プロフィールを読んでその悪質さに震えが
【佐村河内さんのプロフィールが記してあるウェブサイト】
格別、批判的な気持ちでそのサイトを見たわけではなかったのに、佐村河内さんのプロフィールを読んだ瞬間、私は嫌悪感に震えました。プロフィールの詐称が想像を数倍上回る悪質さだったからです。抜粋します。
「被爆者を両親として広島に生まれる。4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし『もう教えることはない』と母親から告げられ、以降、作曲家を志望。中高生時代は音楽求道に邁進し、楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。17歳のとき、原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学ぶ」
10歳で『もう教えることはない』と言われたというピアノ。そして、中高生時代より独学で作曲を学んだというのくだりを読み、私は一気にイラつきました。
私のような者が言うまでもないことですが、例え10歳で『もう教えることはない』と言われたとしても、ピアニストは毎日毎日何時間も練習していますし、それは一生続きます。作曲に関しては、1人で本を読んで理解するくらいなら可能でしょうが、たった1人で楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法まで習得のうえ、作品たりえる交響曲が作曲できるようになるなら、音大の作曲科なんて必要なくなります。プロフィールを詐称しているとあらかじめ知ってはいましたが、まさかここまで悪どいとは……。詐称にも程がある!「ピアノなめんな! 作曲なめんな!」というのが素直な感想です。
さらに佐村河内さんのプロフィールから、以下のパッセージ。
「2000年、それまでに書き上げた12番までの交響曲を全て破棄し、全聾以降あえて一から新たに交響曲の作曲を開始」
交響曲を12曲作っておいて破棄、だと……? それがどれだけ大変なことかわかってるのか? 命を削って交響曲を9曲書き上げたベートーヴェン先輩に謝れ! という怒りまで湧いてきたのでした。一瞬にしてアンチ・佐村河内にスタンスを変えるほど、このプロフィールには嫌悪感を覚えました。自分が大切に思っているものを、踏みにじられたような……侮辱されたような……(ワナワナ)
そして、そこから類推して、「被爆者を両親として広島に生まれる」「聴覚障害」「全聾」などというキーワードたちも、全て私が想像していたよりもずっと悪質な詐称キャンペーンの一環であろうとようやく理解したのです。
愚かな私はここに至って初めて、佐村河内問題は「ゴーストライターがいた事実を隠していた」ことだけではなく、もっと大きな問題をはらんでいると気づいたのです。
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