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グレーゾーンに未来はあるか 性風俗と芸能の境界線上で揺れるストリップ

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ストリップは白か、黒か?

 それはストリップを取り締まる法のひとつであり、社会の「性的道徳秩序の維持」を目的とする「公然わいせつ罪」が、あいまいで恣意的な運用を可能にしているからだ。

 公然わいせつ罪において、ストリッパーは「夜道でいきなり性器を見せつけてくる露出狂」と同じロジックで裁かれる。しかし、現在のストリップは「観たいと思った客が入場料を払って劇場に入り、ショーを観る」のだから、実態を正しく把握していれば逮捕は不当だとわかるだろう。

 しかし、実際は警察側は極めてあいまいな基準で摘発を実行する。過去には、ストリッパーや従業員だけでなく、衣装での写真撮影をした客や、リボンやタンバリンで演目を盛り上げた客まで公然わいせつの幇助で現行犯逮捕された例もある。売春防止法や、わいせつ物頒布等の罪ではないことに注意したい。

 撮影した客を幇助で逮捕するのは、さすがに理論が破たんしていると思うが、法による曖昧な定義が権力側に濫用されてしまえば、それが実態とかけ離れた不条理なものでも逆らうことは出来ない。

 性表現を巡る議論では、局部を見せるか否かが争点になることが多いが、実際のところは出す・出さないに関わらず「わいせつを助長すると思われる」と警察が言い出せば、摘発は可能なのだ。

 ストリップファンの間ではよく、「オリンピックや万博に伴い、浄化の名目で劇場が潰されるかもしれない」という話題になる。そこに存在するのは、「ストリップなどという下品なものは我が国にはないことにしたい」という権力側の都合や、「何だかよくわからないが、怪しいものを排除したい」という市民社会のあいまいな意思だ。

 根底にある、性風俗従事者への根強い差別意識や、性に対する嫌悪感がこうした「浄化と言う名の排除」を促進している。

 しかし“浄化”促進派には、ストリップを通して生活の糧を得ている人々、誇りを持って舞台に立っている人々、ストリップを見ることで日々の生活を豊かにし、また日常に向き合っていこうとしている人々への想像力や敬意が欠如している。

 ストリップの未来を考えるという点において、もう一つ留意しておきたいのが、現状でのストリッパーの負担の大きさだ。10日間拘束で1日4~5回ステージに立ち、移動日もなしに次の劇場に入る……という現状の労働条件は、やはり“ブラック”だ。

 空中演目における劇場の安全対策なども万全とは思えない。また、客の中に撮った写真を転売する者や、ストーカーに変容する者がいたとしても、それを阻止する有効な対策は打ち出せていないのが現状だ。

 こうした労働上の問題を、オセロを返すように白にする方法はないだろうし、ここで詳細は議論しない。しかし、せめて何か問題が起きた際に相談できるような窓口は必要だろう。また、ストリッパーがより安全にステージに立つために、これまでと興行の形式が変わったとしても、それを理解する流れは作っておくべきではないか。

 ストリップを文化として残したいと願うのであれば、ファンも含め関わる人々は「人身売買や出演強要のような人権を蹂躙するような行為のない、堂々と楽しんでいい娯楽である」ということを市民社会に向けて発信する必要がある。

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