首都圏連続不審死事件。2009年に発覚したこの事件では、3人の男性に対する殺人罪や、複数人の男性に対する詐欺、詐欺未遂罪などで木嶋佳苗被告(39)が逮捕、起訴され2012年、さいたま地裁での裁判員裁判にて死刑判決が下されている。木嶋被告はこれを不服として控訴しており、今月には東京高裁にて控訴審判決が言い渡されることになっている。
2月27日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、この木嶋被告がなんとブログを開設したことを報じている。記事によれば、記者との文通のなかでこのブログの存在を明かし、その後記者と面会した際、開設の理由を「支援者の存在を証明したかった。ブログの更新は、外部の協力がなければできないことですから」と語ったという。
受刑者や被告人、被疑者といったような、警察署や拘置所に身柄拘束されている人々は、電子機器に触れることができないため、直接ブログを開設することは不可能だ。しかし、面会や文通等で外部の人間と接することは、接見禁止等の場合を除けばおおむね可能となる。その外部の人間に記事を託して、ブログ記事としてアップしてもらうことも可能だ。こうしたスタイルで運営されているブログやホームページは珍しくはなく、いくつか確認できる。有名なものは、マブチモーター会長宅法か殺人事件で死刑が確定している畠山(旧姓・小田島)鐵男「死刑囚獄中ブログ」だろう。
ブログ開設の労力だけではなく、頻繁に送られて来る手紙の内容をパソコンで文字に起こしてブログ記事にアップする労力が必要となり、継続的な支援が必要となる。木嶋被告が開設の目的として語った“支援者の存在”なくしては不可能だ。また、無罪を訴えている被告人を支援する目的で、支援者がブログやホームページを開設するケースもあり、「○○さんの無罪を勝ち取る会」などのタイトルを掲げ、集会のお知らせや裁判日程、また拘置所からの本人のメッセージ等がアップされるようなものもある。
このように、被告人や受刑者などが外部の人間を通じてウェブで情報発信していくケースは珍しくはないが、今回の木嶋被告のブログ開設の報は、ネット上で大きな話題を呼んでいる。そもそも逮捕当時から大きく報じられ、通常であれば尻すぼみとなる裁判の様子も細かく報じられるなど、一般人にとって引きが強く知名度の高い被告人であることが影響しているだろう。
早速、この「木嶋佳苗の拘置所日記」をチェックしてみた。初めての記事がアップされている日付は今年の1月5日(日付は操作できるため本当にこの日かは判然とはしない)。拘置所内でこの原稿が書かれたのが2013年の12月24日となっている。本人の直筆と思われるものが撮影された写真もアップされている。達筆だと散々、各媒体で報じられてきたが、確かに達者な筆致である。ただ、「葛飾区」の『葛』の字が間違っている。読書家であることも報じられてきたと思うが、この字の間違いは……と少し心配になる。また支援者も誰も指摘してくれなかったのだろうか。数多くの人間が彼女にコンタクトを取ろうと面会の申請をしたり手紙を送ったりしているとあったが、それが真実であれば、こうした些細な指摘をしてくれる人が周囲にいないのか、もしくは言い出せない関係を作っているのかとも想像し、ひょっとして外部との交通に関しては基本、イエスマンになりそうな人ばかりを選別しているのではないかという疑念すらわいてくる。
内容に関しては、木嶋被告が逮捕前にクックパッド内で綴っていたブログ「かなえキッチン」にも共通する、異様に細かい記述や、独特の例えなどが随所に見られる。赤の他人によるねつ造ブログの可能性も捨てきれないためここは慎重にチェックしたがおそらく本人による記事とみて間違いないだろう。たとえば「かなえキッチン」では自己紹介に『お菓子作り、パン作り、毎日の食事作り、保存食作り、食にまつわる全般に興味があり』と、“保存食作り”までわざわざ明記する細かさを見せ、『スープの冷めない距離に住んでいる妹と弟がおります』といった、可愛らしいのか古くさいのか一瞬では判断のつきかねる微妙な例えをしているが、こうした特徴は「拘置所日記」にも見られる。
例えば2月16日公開(原稿作成日時は1月15日)の書き出しは「控訴審第2回目の1月14日。朝の7時半に部屋を出た。朝食をとる時間はなかった。丸く小さいあんドーナツ1個とアーモンドチョコ 3粒を食べながら、身支度をした。7時45分に東京拘置所を車で出発。高速道路を走り、8時15分には銀座の街並が目に入った。25分に東京高裁到着」って調書かと思うほどの細かさ! また、丸く小さいあんドーナツやアーモンドチョコといった記述に、お菓子を購入できるだけの財力もしくは外部支援者の存在を匂わせるところもなかなかである。他の記事に、このブログがどうやって作られているのか明かしている箇所があり、それによれば「お鮨好きのおじさまは、私の原稿をパソコンで打ち込むのが面倒で、お金を払って人に頼んでるの。私そのものがエンターテインメントだから文句言わない。彼は、お金払ってワハハーって笑ってる」とのこと。これが真実であるのであれば、支援者もそれなりに余裕と時間のある生活を送っているということが分かる。心に余裕のある自分、そんな自分を応援してくれる懐に余裕のある支援者の存在。それを誇示し、「自分」を見せつけたいという欲望が、ありありと見える。拘置所生活の中でも、彼女の自己顕示欲は衰えを知らないどころか、さらに肥大しているようだ。
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